YL と語数 がわたしたちの多読におおいに役立った時代がありました・・・
バイトサイズの話も興味深く読んでいます。
YLの話も、うん。。。まああれは自転車の補助輪みたいなもんですかね。
途中からYL絶対信仰!的な雰囲気がでてきて、それはおかしいだろと
思ってましたが、みんなあれで自転車に乗れるようになったんだよなあ。。。
(遠い目)
いつかはぜったい外さなきゃ遠くへは行けないんですけどね。
感想を寄せてくれた「多読の申し子」Hさん、ありがとう!
そうですよね、いつかは外さなきゃ遠くへは行けない。
けれども、補助輪がなかったら多読の自転車に乗ろうとしなかった人はたくさんいるでしょう。
ところが皮肉なことに補助輪が次第に一人歩きするようになって、
多読本体からは関係ない方向に進み始めた。
補助輪に引っ張られてよたよたと進む自転車!
皮肉にして滑稽、現実にして超現実!!
もちろん、ほとんどの人はそんな馬鹿じゃありません。
しっかり自分を持っていて、YLも語数も目安としか考えなかったと思います。
そういう人たちはYLはせいぜい軽く参考にするだけ、語数はそのうち数えるのをやめるか、
数え続けたとしても遊び半分。決してYL と語数に振り回されることはありませんでした。
けれどもYLも語数も数字である恐ろしさ!
次第に、目安ではなく絶対的基準のようになっていきました。
語数は「多読」の進度を細かく測る基準になり、
YLはいつしか小数点1位まで刻まれるようになり、
ついには「何万語読んだらペーパーバックが読めますか?」とか、
「この本の(試験の、放送の)YLはいくつでしょう?」などとお伺いを立てる始末・・・
(そんなことは気にせずに、自分が気持ちよく読めるるかどうかだけを目安にすればいいのですが)
かくしてYL と語数は多読の補助輪から足枷へと変貌を遂げ、
わたしたちは足枷を補助輪へと戻さなければいけないことになった・・・
(そして今やことばは文字から氷山になった!)
思えば遠くへ来たものです。