いわゆる「GR」の功罪について--モーリンさんの意見!

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

モーリンさんは比較的最近twitterでやりとりするようになりましたが、実はふるーい仲間です。

で、次のようなメールをくれました。全文を引用します。

酒井先生のブログの話題は興味がありますが、なかなか結論も出しづらいですね。

はい。何年も考え続けました。
やっと結論が出せると思ったのは、ことばの世界は「絵=映像」からはじまると
思い切れたからです。

僕は最近は英語のドラマは Downton Abbey ぐらいしか視てません。
でも、GYAOでマー君とダルビッシュの試合は現地の中継で視てます。
不完全な文は要点しか言わないので聞き取れますが、難しい解説になると意味がわからないです。
Downton  Abbey は結構難しく雰囲気で誰が誰を好きで、誰が誰を嫌いかぐらいかはわかりますが、細かい背景がわからないことが多いです。もちろん、それでも十分楽しめます。
また、各回の初めに2~3分で前回までのあらすじが日本語であるので少しキャッチアップできます。
でも、前から思うのですが聞き取れても日本語のようにスッと気持ちに入って来ないのはなぜでしょうか。やはり、言葉を体(脳)で感じる反射神経が出来てないからでしょうか。これは、量で解決するしかないのでしょうね。

はい、量が解決しますね。いや、量しか解決してくれるものはないでしょうね。
もし解決を早くしたいと思ったら、シャドーイングをすすめますが。

GR についてですが、一応の結論が出ているようですが、好みの問題のような気がします。
子供でも僕のようにマンガしか読まない子供もいれば、本好きの子供もいます。また、マンガさえもあまり読まない子供もいるはずです。これは、右脳が発達しているとか環境によっても異なるように思います。僕はGRにあまりなじめず比較的早く児童書に移行した口ですが、本好きの方はGRを好んで読まれるのではないでしょうか。僕は、GRと絵本の絵の量の差は大きな問題ではないと思います。なぜかというと、挿絵だけの場合はそれだけたくさんの想像をするためです。もともと小説などが好きな方はこの脳内ビジュアライズが上手いのではないかと思うので。その分、挿絵などの手助けがなくても本を楽しめるのではないでしょうか。GRが文学的でないというのも僕にとっては?で、リライトする方はうまいへたはあってもいい作品にしようと考えてリライトしているのだと思います。文学的かどうかを問題にするなら普通に書かれた本もピンキリですから。

「本好きの人はGRを好んで」読むかどうか、むずかしいところです。
「英語の本が1冊読めた!」という点を評価して「好む」場合もあるでしょうが、
反対に「読書としてはどうか・・・?」と首をひねる場合もありそうです。

あと「多読」についてですが、最近は「英語の勉強法」としての是非での議論になってしまって「多聴」や「多感」などと比較されたりしているように感じますが、僕は「英語の本をもっと読めるようになりたい」人のための方法論だと捉えていますし、人に説明するときもそう説明して英語の勉強法ではないと言ってます。
実際、僕が多読を始めてSSS掲示板に書き込んでいたころは「英語が出来るようになる」ことは副産物であり英語の本を楽しく読めていることが話題の中心だったと思います。

そうでした・・・ みんな楽しそうに読んでいましたね! なつかしい。
今やSSSは「英語の勉強法」をはっきりめざしているように思いますが、
こちらではSkypeのブックトークおしゃべり会などで、今もとても楽しい、いや、楽しすぎて寝不足に
なるくらいの語り合いが続いています。モーリンさんもぜひ参加してください!

今は、多読である程度力をつけ writing や listening に興味を持つ人が増えたことや、「音を聴く」ことのできる題材も増えたことなど環境も変わりつつあるとは思いますが、本を読めるようになりたいのか映画を字幕なしで視られるようになりたいのかなどの目的に合わせて方法が選べるようになったと考えたほうがいいと思います。

この点について、わたしの考えは少し違ってきました。
SSS以来のみなさんに教えられたことですが、「読む」も「聞く」も「観る」も実は同じことだと
考えるようになりました。「話す・書く」も同じことのようです。

「読む・聞く」という吸収活動(?)だけでなく、「話す・書く」という表現活動(?)が加わると
「読む・聞く」の感受性が増すと思われます。
また、「聞く・話す」という音の面が加わると、「読む・書く」という文字の面の感受性が増すと、
思われます。

もう、いわゆる4技能というのはそれぞれに影響し合って、
読書を深めるには文字だけでなく、音の面(聞く・話す)が不可欠のようだし、
映画を字幕なしで楽しむためには、文字の面(読む・書く)が不可欠のようなのです。

最後に、音から入るか文字から入るかですが、教材や環境さえ整っていれば音から入るのが理想だと思います。先生のおっしゃっているように人類も先に言葉ありきでしたし、子供も言葉を覚えるのは音から入ります。この意味で、まだ英語をかじっていない子供は音から入るべきと思います。
すでに書きましたが、多読は少し英語をかじってしまっている大人に適しているのだと思います。

Happy Reading!

まったくその通りだと思います。
「多読は少し英語をかじってしまっている大人に適して」いたのだと思います。
12年前は手に入りやすいのはGRだけだったという事情もありました。

それが最近は音も手に入りやすくなったし、話す機会も書く機会も「絵からはじめる」機会も
インターネット上でかなり増えた--そういう事情があって、GRの役割がはっきりしてきたのですね。

そしていろいろな形のことばに触れる機会が増えたおかげで、
GRに頼りすぎた場合の弊害も明らかになってきたのだと思います。

モーリンさん、いつも意見をありがとう。モーリンさんも、Happy reading!

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る