7月14日(土)港区みなと図書館で!講演会+ワークショップ!!

港区では初めての講演会+ワークショップです。

次のページを見てください。ポスターもあります。

「英語多読、はじめませんか?」

多読からTadokuへの過渡期です。
最新の多読、これからのTadokuについてお話しします。
実際に多読用素材(一般には教材と言いますが)を用意して、
多読・Tadokuを体験してもらいます。楽しいですよ!

たくさんの人が来てくださいますように・・・!

古い仲間といっしょに新しい目標へ・・・

Twitter で昔からの多読仲間としょっちゅうやりとりしています。
いいもんです。なんだか長い時間も遠い距離もすっかり消えて、
昔と同じように話が弾みます。

きょうは古い仲間ならみなさんご存じのカイさんのツイートです。
カイさんが仲間の名前をいろいろ出してくれて、こんな風に話がつながりました・・・

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日本語教室 in Brighton run by a British girl. フォーラムと同じ記事です。

日本語教室を英語話者が運営しているというのは珍しい!
主宰者は Fran Wrigley さんと言います。

(きょう東中野の事務所に行ったら、ちょど Fran さんに日本語多読読み物を
郵便で送るところでした!)

ぜひ Step Up Japanese のサイトに行って、写真と文章を楽しんでください!
日本にいた時の様子を報告してあったり、とてもおもしろい。

Twitter や Facebook や Instagram でフォローしましょう!

(こうやって日本と外国の壁がなし崩しに溶けていく・・・)

みなさんと交流が始まったら、楽しいだろうな・・・!! :cheers:

ことばが使えるようになること うう・・・漠然としすぎている!

ことばを吸収して、それを自分で使うのは、
今まで言われてきたように言葉を覚えて、思い出して使うことでは
ないと言い続けてきました。

じゃあ、どういうことなのか?

ある人のメールを「続き」で引用します。
この人の感想がわたしが考える吸収、再現をそのまま表現している
ように思うのです。

(このメールを寄せてくれた人はとても変わった人で、
多読関係には変わった人が多いのでそんなにみなさん驚かなく
なっていると思いますが、きっとびっくりすると思います。
まだくわしくは紹介できませんが、楽しみに待っていてください。)

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この人にはいま字幕なし多観を実験してもらっていて、
ときどきその様子を報告してくれます。
この報告は第14号(!)。
で、第13号で、 by so doing という表現を知らないうちに使っていたと
報告がありました。以下は第14号でその続きを書いてくれたものです。
続き~by so doingという表現について~
きっと以前どこかで見聞きしたのだろう。
けれどもそれきりすっかり忘れていて、今回ひょっこりその記憶が引き出された。。。。ということ。。。
そうだとすれば、この現象こそが、いつの間にか表現ができるようになっていることなのではないか。
そうたいして気にもとめず、いつ使うとも知れない表現を覚えていて、ここぞという必要な時に
本人の思いもかけずに出てくるなんて、不思議なことだ。
この体験から思うのは、無理に覚えようとせずともいいのだということ。
忘れてしまえとまでは言わないが、むしろすっかり忘れてしまったとしてもそれはそれでいいのだ。
やさしくたくさん読む聞くを実践していると、表現が知らずにたまっていく。
つまりそういう体になるのだ。
そう、脳改革というべきか、体改革というべきか。
テキスト開いて問題集を解く、机上のお勉強ではない。
そういう意味では体育、図画工作、音楽、調理実習だ。

これまでわたしはずっと

「白い紙の上に印刷した黒い活字ではない」

と言ってきました。そうではなくて、

「生きた人間が生きた場面で生きた人間に使うものだ」

と。

だからことばを吸収するには生きた場面と生きた人間がそっくり
表現されている素材がいいということになります。
そこで、絵本とその朗読CDやアニメやドラマや映画がいちばんいい!
そういう素材で、場面と気持ちとことばが一緒に吸収されると、
同じ場面で同じ気持ちのときに同じことばが出る、と考えているわけです。
その「出る」はちょっとでも考えてから出るわけではありません。
「場面と気持ちとことば」の組み合わせが同じものが体に入っていると、
ことばは パッと出る のだと思います。
それを「樽からことばが溢れる」と喩えるわけですね。
なお、by so doing は日本で英語学習をやっているかぎり出会うはずは
ないので、その点でも、この報告は生の素材から吸収した言い回しが
ひょいと出てきた貴重な例だと思われます。
今回のある人の場合は、「溢れる」ちょっと手前かもしれませんね。
次を読んでください。
make it two、 by so doing
どちらも強い圧力の中から出てきたもの。
お客様に確認しなければならなかった。
伝えんがために書くことに没頭していた。
言葉は、何らかのコミュニケーションをとおして身についていくのだ。
外からの圧力、伝えたいという強い気持ち。
では普段そういうことのない者がなんとか英語を引っ張り出すには。。。。?
何かを真似すること、かな。
…やっぱりここにたどり着く…
けれども、考えやアイデアを力強く引き出す手もなく自発的に気軽に発信できるということが、どれだけ高度なことか!!!!!
自ら進んで英語で発信している人たちに伝えたい、それは本当にすごいことだと思う。

最後のところ「自発的に気軽に出てくる」のが「溢れる」なのではないか?

いずれまたこの「ある人」については報告します。
とても興味深いのですが、いまはまだ全容(!)を報告できません。
楽しみにしてください!

追伸
月曜日の10時から11時はNPO多言語多読の英語多読講座卒業生の
Skype英語おしゃべり会です。きょう(月曜日)ちょうどこの話題に
関係あると思われる報告がありました。

以前読んでむずかしくてすぐにやめた Swallows and Amazons を
映画を観たあとで最近読んだらもう半分まで楽しんでいる、と。

ことばは活字ではないのです。
活字の向こうに景色や表情が見え、声や音が聞こえてこなければ
読書とは言えないのではないでしょうか?

こんなもの見つけた!に投稿しましたが・・・ あーあ、日本人って!

フォーラムの「こんなもの見つけた!」に投稿しました。

Japanese Being Japanese

おそらく日本に滞在した外国人が撮ったと思われる写真がなんと54枚も!
どれも日本ならではの面を表現しているということのようです。

さすが日本だな、というよい面もいっぱいありますが、
そこまできっちりやるのですか?という疑問な写真もあちこちに・・・

写真もおもしろいけれど、コメントも読んでください。
フォーラムに書いたことをそのまま貼り付けます。

コメントを読んでください。内容もおもしろいけれども、
短く書く、さらっと書く、思ったことから書く、
つまり Bitesize Writing をそのまま実行したような文章ばかりです。
コメントの多さもぼくには驚きだった!

こんな風にわたしたちもどんどんコメントを書きたいですね。
リンク先の写真についてコメントを書いたら、きっとだれかがそれに
返信しますね。やってみませんか?