各務原市と大府市のたどくらぶ訪問!

怒濤の二日間でした。
帰ってきたばかりですが、また行きたいので、いろいろ画策しています。

水戸のご隠居じゃないですが、こうやって諸国を巡れたらこんな幸せなことはないですね、わたしには。

各務原市の集まりを支えてきたナナさんのFacebookへの投稿をリンクします。

・・・リンクできませんでした。改めて貼ります。ちょっと待ってください!

宮窪手話--とても興味深い!

愛媛県宮窪町1000人の住民が「話す」手話です。いろいろな意味で興味深い!

ろうを生きる 難聴を生きる「故郷の手話を守りたい」<字幕スーパー>

*言語学者亀井孝さんは「一人一人の話すことばが「方言」だ」と
言っていました。せまい地域で伝わる手話はまさにその一つですね。

*町の外のろう学校で「(宮窪手話は)ホームサインだ、ことばではない」と
言われた、と。一人一人が方言を話しているとすると、1000人が話していれば
十分にことばですね。

*ちなみに大学の講義で聞いた亀井孝さんのこの指摘は半世紀にわたって
わたしの考え方に染みついています。

*宮窪町の人たちの間ではろう者も「障害者」という意識はしないで成長する、と。すばらしいのではないか?

*時間の表現の仕方がおもしろい! やはり「未来形」はないらしい。
もう一つちなみに・・・ 日本語でも(普通の)時間表現は動詞の
担当ではありません。ヨーロッパのことばでは動詞まわりで表現するようですが。

*ことばはどう発達するのか? 生まれてから比較的短いと思われる
宮窪手話はひょっとしたら生まれる過程をつぶさに見ることができるのではないか?
(漁船のエンジンの音がじゃまで手話ができたとするとそれほど昔では
ないはず?)

*ほかの漁港でも手話はあるのか? 部分的な手話とか? 生まれかけて
消えた手話とか?

*ことばの分化(方言化)にそれほど時間がかからない可能性があることが
わかるのではないか? たとえばきっちり規則が決まっているはずの
プログラミング言語にも方言化はあるのではないか?

*プログラミング言語の方言化は、もし方言化があるとすれば、
自然言語の「方言化」つまりいま地球上にある言語がアフリカ原人の
ことばから分化してきた過程の再現になっているのではないか?

*手話にも bitesize はあるのだろうか? 決まり文句はたぶんある?

うう・・・ いろいろ妄想が広がります。
きわめて興味深い話を知らせてくださったFacebookのAさん、ありがとう!

カイさんの目から見た多読--大きなヒントがいっぱいです!

最近まで多読にはYLがかならず話題になりました。
YLは多読普及初期には大きな役割を果たしたと思います。
けれどもYLは数字で表されるので、次第に弊害が明らかになりました。
YL通りに一直線にレベルを上げようとする人たちが少なくないのです。
それはほぼ確実に挫折します。
ぼくはカイさんがここで紹介している虹色シールの方がよさそうだと思います。
レベル別は分かるけれども、YLのようにきっちりしていない!
 
それに図書館で本を探すのも簡単です。棚から色ラベルで手に取ればいいのです。
適度なレベル分けと、適度な自由度--黄金の組み合わせではないでしょうか。
カイさんの紹介をぜひ参考にしてください!
このページへ跳んで、少し下ってください!
ほかにも参考になる投稿がいっぱい!!
カイさん、ありがとう!!!

「あなたは目から? 私は耳から。」--返信もう二つ!

もう一つ! ある人から・・・

「そういえば!何年か前の支援セミナーで英語のスピーチをした時に、身振り手振りが英語っぽいと言われたことがあって、その後も、僕がハマってた番組やYOUTUBERと動きが似てきたと他の人からも指摘された。ことばとの関係はわからないけど、身振り手振りや表情から似てくるってのは、あるよな気がする!」

そうか、なりきりか!? ある人、ありがとう!

そしてピーままさんから・・・

踊って、歌って、料理して、旅して‥‥と言う事は私は運動タイプかな?😁

ピーままさんは古い多読仲間で、変わった人が多い多読仲間の中でもとくに変わっています。
なにしろ行動的! 米国西部に馬の旅に出かけたりね。すごいです!

ピーままさん、これからもあちこちでよろしくお願いします! ありがとう!

「あなたは目から? 私は耳から。」 --さっそく返信!

まずちょっとお詫びを!

カイさんのFacebookの記事を引用しましたが、カイさんの意図をまったく
無視したかのように、「動き」からことばへという部分だけに感想を書きました。
実際にはカイさんは自分を「耳から」ことばが入ると言っていて、
それに役立つリンクをいくつも貼ってくださったのでした。
どれも役に立ちそうなので(!)ぜひ訪問してください!

で、次はお礼です。めろんぱんさんからお便りをいただきました。ありがとう!!

たしかに最後に出てくるTPRは Total Physical Response のことですから、
体を使って外国語を「覚えようと」します。

ただ、わたしは米国の大学でTPRの研修を受けた人から一度講習を受けたことが、
ありますが、パターン・プラクティスを体を動かしながら繰り返すもので、
失望しました。

パターン・プラクティスはその名の通り、世界とも物語とも気持ちや考えとも
関係なく、みんなで一斉に体を動かすことで文法を暗記しようとします。
「動き」とことばの獲得を考えるのにTPRを完全に忘れていたのは迂闊でした。

残念ながらことばを知る楽しさもわくわくもないです。
ほかの方法でスペイン語を勉強した学生よりもTPRを経験した学生の方が
成績が良かったようですが、それもあまり参考にはならないのではないかな?
TOEIC900点や満点の人が実際に英語を使えるかというとそうではないですが、
それと似ています。どうやって成果を「測った」のか、それも大事です。

ことばの力を測る?

「多読は数字ではない」--昨年の支援セミナーでわたしが「遺言」として
言ったただ一言です。(今度の5月で理事を引退するので。)

続きを読む