愛媛県宮窪町1000人の住民が「話す」手話です。いろいろな意味で興味深い!
ろうを生きる 難聴を生きる「故郷の手話を守りたい」<字幕スーパー>
*言語学者亀井孝さんは「一人一人の話すことばが「方言」だ」と
言っていました。せまい地域で伝わる手話はまさにその一つですね。
*町の外のろう学校で「(宮窪手話は)ホームサインだ、ことばではない」と
言われた、と。一人一人が方言を話しているとすると、1000人が話していれば
十分にことばですね。
*ちなみに大学の講義で聞いた亀井孝さんのこの指摘は半世紀にわたって
わたしの考え方に染みついています。
*宮窪町の人たちの間ではろう者も「障害者」という意識はしないで成長する、と。すばらしいのではないか?
*時間の表現の仕方がおもしろい! やはり「未来形」はないらしい。
もう一つちなみに・・・ 日本語でも(普通の)時間表現は動詞の
担当ではありません。ヨーロッパのことばでは動詞まわりで表現するようですが。
*ことばはどう発達するのか? 生まれてから比較的短いと思われる
宮窪手話はひょっとしたら生まれる過程をつぶさに見ることができるのではないか?
(漁船のエンジンの音がじゃまで手話ができたとするとそれほど昔では
ないはず?)
*ほかの漁港でも手話はあるのか? 部分的な手話とか? 生まれかけて
消えた手話とか?
*ことばの分化(方言化)にそれほど時間がかからない可能性があることが
わかるのではないか? たとえばきっちり規則が決まっているはずの
プログラミング言語にも方言化はあるのではないか?
*プログラミング言語の方言化は、もし方言化があるとすれば、
自然言語の「方言化」つまりいま地球上にある言語がアフリカ原人の
ことばから分化してきた過程の再現になっているのではないか?
*手話にも bitesize はあるのだろうか? 決まり文句はたぶんある?
うう・・・ いろいろ妄想が広がります。
きわめて興味深い話を知らせてくださったFacebookのAさん、ありがとう!