多読・Tadokuはこれまでの「常識」とあまりに違うので、
非常識と思われるのはともかく、禅の公案かというような面があって、
どうもまともに受け取りにくいところがあるようです。
その一つは「学ぼうと思うな、思えば学べない!」というものですね。
でも、それがなかなか・・・
そのあたりの「イライラ」というか、「もどかしさ」というか、
スッキリしない気持ちをメールで寄せてくれました。
送ってくれます。前回送られてきた決まり文句について、
「これは字幕なしで収集したのですか?」と訊ねたところ、
こんな返事が返ってきて、ついでに最近感じていたという「焦り」について
書いてくれました。決まり文句もですが、そのモヤモヤについて感想を書きます。
先週の「今週のヘェ」について、字幕なし視聴で収集しました。出典 ドラマ Scandal、それと the affair(だったな。。。)Hey, Duggy! 偶然見かけた一般家庭の動画.セリフがあっという間にすっ飛んでいった!そんな経験をした後、ほんの少しではありますが、またキャッチすることができてホッとしています。実は、先週は、キャッチした数こそ少ないのですが、先生が強く推奨する、”場面とともに言葉を吸収する”について、今まで以上に深く体感できた週でもありました。画面を通してシーンを疑似体験。その蓄積。つまり、”たっぷりじっくりドラマなり映画なりを堪能する、楽しむ”。結局これに尽きる。
なかなかそうは割り切れません。
英語を習得しようと意気込むと、いつしかそんな風に単純でいられなくなってしまう。そういう意気込みが強い人ほど、やっぱりどこか開き直れずにいる。あるいはいつしか閉じてしまう。なかなかできないと思うようになってしまう。だから、”焦るな” ですね。英語習得への気持ちの強さを軽んじるつもりはないけれど、一度それは解き放ってしまって、完全に肩の力を抜くのがいいのでしょう。これが鍵のような気がする。拍子抜けするほどの軽やかさ。それが、多聴多読が勉強ではないということの体感。
追いかけること自体が追いかけないことになってしまう。
自分の尻尾を追いかけている気持ちだった
ま、徐々にお勉強から離れていきましょう、おたがいに・・・