「旧町の名前をひとつ」で、電通大の卒業生 I さんのすさまじいシャドーイングについて報告しました。
今回はI さんによるまとめです。
2013年9月 5日
シャドーイングのまとめ
筆者のシャドーイングレベルは、英語の音はほとんど聞こえているが、
意味の分からない文章もあるという状況。
シャドーイングをやって至った結論は
あたりまえだけど
「人間は生まれて初めて聞く音は理解できない」
言い換えると
「過去に聞いたことの無い音や聞きなれない音は異音であり、雑音であり、意味を成さない音にすぎない」
詳しく説明すると、人間の目や耳から入る情報は、実際に聞こえたり
見たりしているというよりはむしろ、感覚器官に入った情報を基に、脳内でそれらを
再現していると言ったほうが良いのではないかと思う。
そう仮定すると、英語学習を阻害する日本語フィルターの説明がうまく収まる。
つまり脳内で英語を再現するときこの日本語フィルター作動してしまうと考えられる。
脳内で英語の音、文字を再現するときに作動するフィルターが英語の上達を妨げる原因と推定される。
I さんの言う「日本語フィルター」は前からわたしが言っていることを同じようです。
つまり、学校英語の音が頭の中にこびりついて生の英語の音を脳に到達させないのだと
わたしは表現してきました。
劇薬シャドーイング(酒井先生命名、筆者としては解毒シャドーイングまたは、リンスシャドーイングと表現したい)
は知らない言語を用いることで、脳を戸惑わせ、フィルター作動機能を凍結させるのある。
または、多量に音を流し込むことにより、フィルタリング処理をわざとオーバーフローさせ、強制的にできない音を飛ばす訓練かもしれない。
初めてのこと、知らないことに急にでくわすと、動作も脳の思考も一瞬固まる経験があるだろう。
まさにそれを実行するのが劇薬シャドーイングであり、
この脳内で勝手に作動する日本語フィルターを凍結させる訓練なのである。
不幸にして、脳内に日本語のフィルターができあがっている人は劇薬シャドーイングが必要と思う。
その通りです、わたしの意図は。
以前から使おうとしてためらってきた言い方では、劇薬シャドーイングで「洗脳」しよう
というのがわたしの意図でした。まったく理解できない音を脳に注ぎ込んで、「判断力」を
麻痺させてしまうこと--それを長い間やりたかったのですが、劇薬シャドーイングが
(「解毒シャドーイング」の方が少し柔らかくて、わたしの意図にも合っているかもしれません!)
ついに「洗脳」を可能にしてくれたように思います、今のところは。
そういう意味では、英語をまったく知らないほうが、多読にしろシャドーイングにしろ
大変有利と思う。英語をなまじ知っているほうがハンディーまたは病気、障害であり
治すほうに時間がかかってしまう。まったく英語を知らない子供やお年寄りに多読の天才が生まれるのはそのせいだと思う。治す時間や日本語フィルターが無いからだと思う。
劇薬シャドーイングはフィルター凍結訓練が目的であるので、うまく発音しようとかは考えないほうがよい。
だから音を間違って言っても、言えなくても単純に口を動かすことだけに専念すべきだ。
まさにその通り! 劇薬シャドーイングでも普通のシャドーイングでも、最初の目標は
声を出し続けること。言葉になっている必要はありません!
筆者の推測だが、ネイティブは英語の文章を単語や文字を全部言っていないし、聞こえていない。
欠落すると文章が再現できなくなるキーになる音だけを聞き取り、脳内で英文を再現できているのだと思う。
要は全部言わないので、英語と言うのは手抜き的な会話に必要な消費エネルギーが最小になるような省エネ的な会話になっているとでも言っておこう。
この英語の特徴を知っておかないと、無駄に発音練習したり、全単語すべて発音しようとする
わき道にそれてしまう恐れがある。
いや、シャドーイングに徹したことで、たくさんの洞察を得ていますね!
「無駄に発音練習したり」、「全単語すべて発音しようとする」ことは「わき道」と喝破しています。
まったくです。発音練習を一生懸命やると、全単語どころか全文字をすべて発音しようと無駄な努力をすることになります。
シャドーイングの練習方法にもつながるが、英語のキーになる音さえシャドーイングで言えれば、
ほかの変な音が言えなくても合格点なのだ。音を飛ばしても良い理由がご理解いただけだろうか。
だから安心して音を飛ばして欲しい。この練習を続けると、飛ばした音が、前後の言えた音から補完できるようになる。
例を挙げるとこれはBBCの気象の話題からであるが、
We’ve been talking about Brazil.はWe,Talkin,abou,Brazilしか聞こえない。これで十分意味は分かるけど多読を併用し、音と文字が一致してくるとWeとTalkinの間に have beenがあることが感覚的にわかってくる。
そうなると、We,Talkin,abou,Brazilを聞いただけで、脳内でWe’ve been talking about Brazil.が再現できる。
そのときがくるまで練習して待ちましょう。必ずその時がきます。
このhave beenを聞き取るなんて無理です。はっきりと言ってないから聞こえないためです。
そういう細部にこだわったhave beenなど一字一句を聞き取る練習は必要ないと思う。
一字一句聞き取る練習は必要ないのです、原理的に!
それはディクテーションは無駄だという表現で何度も書いてきました。
(なお、わたしはディクテーションだって、一つ一つの発音練習だって、他の人に輪を掛けて一生懸命やりました。極端形にならないように「発音練習」したり、聞こえない音を落とす練習もしました。その上で、わたしはあれはすべてまったく無駄だったと思っています。嗚呼!)
英語圏の現地で英語音と、状況場面を目で確認できる環境であれば、音のみである会話のレベルの上達が期待できると思う。
非英語圏で英語の上達を期待するならば、視覚に訴える絵本や映像があると効果的と思う。
また、音だけでも英語上達には片手落ちとなる、会話はできるが文字が読み書きできない人がいることからそれは理解できると思う。だからキーになる音と英文を結びつける練習がある一定のレベルから必要と思う。
I さんのユニークなところは 音 が先に来て、それを 文字 と結びつけるという順番なのですね。
普通はその逆ですもんね、日本では。
シャドーイングの効能の一つにリスニング力の強化があるが、
音を口に出すためには、全神経を尖らせないと難しいのはシャドーイング経験者ならすぐご理解いただけると思う。
これは全神経で外国語音を受け止めるから、脳が非常に活性化し潜在意識に残りやすい。
一方よくある聞き流しは、全神経を尖らせないのため耳から耳へと抜けるだけで効果は低いと思われる。
潜在意識に音を刷り込ませるには、何でもいいから口を動かすこと。
つまり、体で覚えると言うことと思う。体を使えさえすればいいので
極論すれば、外国語の音にあわせて手足を振って踊るのでもいいのかもしれない。シャドーイングはいわゆる体で覚えるという作業に近い。
これもまたその通りです。はまこさんを思い出しますね、古参の仲間なら。
はまこさんの踊るシャドーイングを始めて見た時は本当にびっくり仰天したのでした。
シャドーイングで質より量を求める(多読でも同じこと)のは、
全神経を尖らせた状態で潜在意識に多量の外国語の音を脳にしみこませることで、
強制的に聞き覚えのある音にしていくのが目的と思う。
だから、はじめからネイティブみたいなきれいな発音を追いかけるのは無理だし無意味な努力である。
それよりか量を求めるべきである。
当初聞きなれない外国語の音でも、何度も意識的に聞いていたら、聞きなれるし、聞き覚えが出てくる。
つまり知らない気持ち悪い、わけの分からない音ではなくなり、口ずさみたくなる。
口ずさみたくなるということは、脳で音を覚えているということで、これまでまったく間に合わなかった
ナチュラルスピードのシャドーイングに着いていくことが可能になる。
筆者が酒井先生に、アフリカから日本帰国の経由地のロンドンに降り立ったら、まるで日本に帰国したかのような心地よい気持ちに包まれると言ったことがある。もちろん、英語が理解できるのからという理由だけではなく、知らない単語があって、聞こえた英文が理解できなくともシャドーイングにより潜在意識に英語音が刷り込まれているため、ロンドンでは、聞こえる音が全て、気持ちよく感じる。知らない英文であったとしても聞いたことがある音が必ずまぎれているので、まったく英語に対する恐怖感というか、外国にいる不安感というものが感じられない。逆にまったく知らない言語、どこかの先住民族が話すような環境の中に行けば、不安感があると思う。
お見事です。英語の音が体の奥底まで沁み込んでいなければ、「日本に帰国したかのような心地よい気持ちに包まれる」なんていうことは起こらないのでしょうね。うらやましい境地です。
筆者のシャドーイングに関する結論としては、シャドーイングではきれいな発音よりも量を求めるべきである。
筆者のこれからの目標は、文字なし絵本の多読から初めて、CDで読み聞かせ絵本を利用し、
脳内に焼きついた英語の音と結びつけることだと思う。
おもしろいですね! 大方の方向とまったく違うところから多読に迫ることになります。
でも、それこそ をさなごのやうに ですよね。I さん、報告を楽しみに待っています。
安佐北中学校をよろしくお願いします!