勇気を持って・・・

twitterで、OreRyuTSJさんの記事を知りました。

その中で引用されていたAlfie Kohnさんの意見にはいくつも大きく頷く点があります。

http://www.alfiekohn.org/teaching/edweek/courage.htm

訳は時間がかかるので、各段落の要約です。

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第1段落: 良い授業をやっている人はいくらもいる。問題はそれについて行くせんせいが少ないこと。

第2段落: 残念なことに、先生方の中には現状に満足して、怒るべき時に怒らない人がいる。

第3段落: 臆病ライオン(Oz)は、現状のひどさを認めながら、「今までも、ほかの学校もこうやって来たから」と言う。

第4段落: 勇気ある教育者はどうするか? 掘り下げる、自分で引き受ける、権力を捨てる。

掘り下げる
第5段落: 建前を実行するには勇気がいる。成績と宿題で生徒がやる気を失っている時は、その両方を疑わなければいけない。

第6段落: 成績向上を目指す授業は教師中心かつ教科書中心の授業をさらに悪化させる。厳しければよいというものではない。

第7段落: 掘り下げることは根本的なところを疑うこと--宿題の量ではなく家に帰っても勉強しなければいけないこと、成績の付け方ではなく、成績をつけることそのものを疑うことだ。

第8段落: 勇気のある先生は自問する。「ひどいテストでいい点を取ること」、「生徒は静かにしているが、自分の頭で考えているのか? 従順なのは裕福な家庭の子どもだというだけではないか?」

自分で引き受ける
第9段落: 勇気ある先生は問題を弱い者のせいせず、自問する。「この子にはわたしの手が届いていないのでは? この子を置き去りにした授業計画は見直すべきでは? この子の目が輝くように代えられないか?」

第10段落: 勇気ある先生は、ぐずぐず言う先生に迫り、反対勢力がいたら正面からぶつかる覚悟がいる。生徒のためにならないと思っても、システムを疑問視すると、問題教師とされる。

権力を
第11段落: 予定通りの答のさらに先に生徒を導くには才能だけでなく、勇気がいる。そして予想外の展開とめちゃくちゃを許容し、先生によるコントロールはある程度放棄する必要がある。

第11段落: 「先生が間違っていることもある」と教室に大きく書いて生徒が自ら考えるように促したある先生は、自分の授業が次第に学習者中心の授業からずれはじめ、生徒の発言や活動で授業が予定通りに進まないことを嫌がっていることに気がついた。そこに気づくには勇気が必要だ。

第12段落: わたしが今まで見てきた先生には、生徒に自分で成績を付けさせたり、宿題を全廃したり、教室の飾りを生徒にやらせた人たちがいる。

第13段落: 管理者側にも、権力を一部譲り渡して管理をゆるくした人たちがいるが、それにさえ先生たちは従順に従っていただけで、自律とか、社会性とか、人格とか、動機といった言葉は絵空事だったと気がついた人がいる。

第14段落: 最近もっとも学習の邪魔をしているのは、指導基準-試験という化け物であり、企業風の上からの押しつけで、それが教室から生気を奪っている。ということはそここそ、勇気をいちばん必要とする方面である。

心強いことに、標準テストを基本的には拒否してこう言った先生がいる。「生徒に信じることをやれと言うのだからわたしもやらなきゃ。」 標準テストの「数値データ」は視野が狭く、単純化しすぎだとして拒否し、生徒の必要に応じた独自のデータに注目した先生もいる。「良心的拒否」を勧めたニューヨーク州の視学官は、標準テストに依らない卒業資格を作った。

やるべきことをやることは怖い。たちの悪い法律を作った連中の犠牲者を責めるつもりはない。けれども、生徒をどれほど傷つけているか気がついている教育関係者が声を上げて、組織的に抵抗すれば、悪い制度は自滅する。生徒の利益を大切にするか、上の決めたルートに従うか、悩む人たちは上に逆らう危険を意識しつつ、馬鹿の言う通りにしていると馬鹿になる危険も分かっている。

立ち上がって、ばかげたことをばかげている、と言うのは勇気がいる。回りはみんな座っているから。けれども、あなたの背中を押すためにもう一つ言おう。子どもたちはわたしたちを見て、自分たちがどう生きていくか決めるのだ。

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途中、要約ではなく訳し始めたりして、ふらふらとしていますが、みなさんで全体をもっとよい文章で訳して、たくさんの人に読んでもらえるといいですね。

わたしはしかし、そうか、相当自由にやっていそうなアメリカでもまったく日本と変わらないのだということに、衝撃を受けました。数値、試験、進学重点校、暗記や問題集などの機械的作業・・・変われば変わるほど同じ風景ですね。

甲の薬は乙の毒 シャドーイングにおける劇薬とは?

きのうの記事に二人の読者から質問が来ました。

それは記事の中で留学生が試した「劇薬」シャドーイングの音声素材はなんだったのですか?

というものでした。

そこで、「シャドーイングにおける劇薬とは何か?」という話題をもう一度採り上げることにしました。

劇薬シャドーイングの目的は 学校英語の音、カタカナ英語、極端形の音 を洗い流そうということでした。 (シャドーイングのルートについてどこかに書いたのだけれど、忘れてしまった。検索しても見つからない! だれか教えて下さい。)そこで、どういう音声素材で洗い流すと効果的かは、一人一人ちがってくるのですね。

極端な例を二つ挙げると・・・

*学校英語もカタカナ英語も、まして極端形の音にも影響されていない人の場合は、普通の速さの音声素材をシャドーイングすればよい → 劇薬シャドーイングの必要はない!

*英語のお勉強も尋常ではなかった、それに一つ一つの音を一生懸命練習した、という人の場合(わたしもそうです)、高速の英語でも一つ一つの語を聞き取って、学校英語の音や極端形の音を口から出してしまう場合があります。その場合には劇薬シャドーイングとしてまったく未知の外国語をシャドーイングします。劇薬シャドーイングでまず耳と口を直結してモゴモゴ・シャドーイングにします。

上の二つのタイプの間の状態の人は、学校英語の音やカタカナ音の程度によって、どんな音声素材が劇薬に当たるか、それは、学校英語やカタカナ英語がどの程度体に染みこんでいるかで違ってきます。ひとによっては劇薬まで行かないけれども高速の英語(分速180語? 200語? 場合によっては倍速再生で300語?)でなければモゴモゴにならない場合があります。

それほど学校英語の音やカタカナ音が染みついていない場合は、中速英語でも大丈夫でしょう。人によって違うし、シャドーイングを聞かせてもらいながら速さを調整しますが、ざっと分速130語か140語くらいから160語、170語くらいかな?

だいたいのことは分かったと思います。きのうの記事の劇薬シャドーイングは映画だったので、場面や俳優によって、早いところでは分速180語くらいになるかもしれません。

けれども、留学中の大学生にそのくらいの速さが劇薬シャドーイングになるのだろうか?という疑問が湧くかもしれませんね。それはわたしもよくわかりません。でも、これまで見て聞いてきた例から考えると、留英語の映画の音声が学生にとっても劇薬になることはありえると思います。

ま、これからもっと資料が集まったら、もっとはっきり言えるようになるでしょう。ぜひみなさん、なんでもかんでも、報告を!

20120515 劇薬シャドーイングについて -- 多読的スピーキングにつながる?

(2012年5月25日にいただいたメールからです。
ほかにもたくさん下書きがあって、遅れ馳せながら少しずつ
公開していく予定です。)

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これは今までになかった報告です。

* 外国に留学中に劇薬シャドーイングをしてみた
* しかも劇薬シャドーイングをした人と、それをすぐそばで見ていた人、

両方の感想です。

まずは観察していた人の報告です。

[娘の]劇薬シャドーイングの素材は、
映画ジェラシックパークⅠ/メンインブラックⅠⅡです。
全部で3時間ほどだそうです。

[娘が]英語圏の方々 — 教授や大学関係者が主ですが — と、話をする場に度々居合わせています。

以前は、
1.まず話をする前に時間を取りまして話を頭の中で纏めてました。なので、直前は話し掛けられませんでした。
2.話し始めましても、途中何度も話を纏め直して 話しをし直していました。
3.ろれつが回らず、また話を纏め直す時もつっかえたりしてました。
4.一度では話し忘れが有り、再度話す必要が有ったりしました。

劇薬シャドーイング後は、
1.事前に話を纏めずにその場で瞬間的に話を纏められます。
2.話の途中で話を纏め直す事も全く有りません 。
3.すーっと一気に滑らかに 全くつっかえる事無く、シャープに話し終える事が出来ます。
4.二度手間も無くなりました。

効果は歴然です。短期間で別人の様に替わりました。

すごいでしょう?

ただ、幸いわたしはこの「娘」さんとも常に連絡を取っているので、
Skypeでさっそく「本人」の感想を尋ねました。

Skypeのチャットなので、要点だけ報告すると・・・

本人としては、実感がない

という素っ気ない感想。
でも、多読による変化は往々にして「自覚できない」ということがあるので、
ま、もっと研究資料が集まるのを待ちましょうか。

お二人に、ありがとう!

をさなごのやうに・・・ 子どもに教えられるシャドーイング!

子どもはいろいろな意味でおとなの先生です。
イギリスのロマン派詩人ワーズワースは The Rainbow と呼ばれる詩の中で言いました。

  The Child is father of the man.

「をさなごのやうに」にぴったりですね。

で、いつどなたにいただいたメールかわからなくなっていますが、
「息子が先生」のところをよくお読み下さい。

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シャドーイングも私はうまく言えないからなかなか

声に出すことができませんが、ここでも息子が先生です。

レディガガの曲を流していると、勝手に歌っているのです。

私は歌詞を聞き取ろうと必死ですが

なんと私の聞く限り息子はサラ~と歌い上げるのです。

少しずつ進歩を感じることが面白くて、

多読にハマッているけれど、実は、私が多聴、多読を楽しめていない時のは

正解を求めてしまっていることだと思いました。

しばらく語数も気にせず、絵を楽しむところから

再スタートします。

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  (このメールをくださった人、ありがとうございました。連絡をください!)

再スタートは新しいウェブサイトも同じです。
これからしばらくは新たな旅立ちにふさわしく
「をさなごのやうに」を強く語ろうと思います。

正解を求めず、語数も気にせず、ただ絵や物語を素直に楽しむところから・・・!

補注
気にしているのではなく、ただ楽しみで語数を数えることはよいと思います。
じわじわと貯まっていくのは、お金も語数も楽しみなもの!
でも時に語数稼ぎだけが目的になって「楽しみ」を忘れる場合があるので、
老爺心を発揮して上のように書きました。

始まったと思ったらいきなり ところで・・・ 学校英語を洗い流す/多読のパラドックス

近く出版の運びとなるはずの学研の本の打ち合わせで、

by the way = ところで

という一対一対応に話が及んで、みんなで大笑い。つまり・・・

学校では「by the way = ところで」と習うので、英語で話をするときに
「ところで」を by the way と英訳してしまいます。
それが実はおかしい場合があることは、例によってわたし自身、
痛烈な「失敗」をしてはじめて分かったのでした。

だれだったか忘れましたが、ある英語母語話者がわたしに

「なんで日本人は by the way と言ってから話が戻ってこないのか?」

一瞬何のことか分からなくて、でもすぐに分かって、自分の誤解に愕然としたのでした。

by the way はそういえば 話の本筋にちょっと離れた話題を持ち込んで、
でもそれはとても軽い話で、すぐに元の本筋に戻ることが基本らしい・・・

(ま、例によって「基本」だから、そうじゃないこともあるでしょうね。
あらゆる例を確かめたわけではないです。実際、「ところで」の意味で
いつも使っているけれど、文句を言われたことはないという人がいます。
もっとも、「文句を言ってもいい」関係になっていないと文句は言って
くれないことがあります。これはいつか「ネイティブ・チェック」について
別に書きましょう。覚えていれば・・・!)

一方、「ところで」は話題を変える場面で使いますね。
もし by the way =ところで なら、by the way と言って話題を変えていいけれど、
by the way = ちょっとだけ本筋から脇に外れるけどね という決まり文句だと
すると、「なぜ元に戻ってこないのか!」という不審、疑問、疑い(わざと話題を
かえようとしているのではないか?)と思われることになりかねませんね。

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・・・という話を今週の火曜日に学研との打ち合わせでしたところ、
木曜日にある人が by the way のあとで元に戻る例を見たそうです。
それは Star Trek の中だったそうですが、いずれDVDが出たら確かめますね。
そしてどんな場面か紹介します。

そのある人は 「アンテナが立つとどんどん引っかかってくる」と言いました。
そうなんです。辞書を引くと、その語にすぐに出くわす、という経験のある人は
多いでしょう。それが多読のすごいところですね。大量の英語に触れるので、
気にし始めた表現にはすぐに出会うことになる・・・

それにしてもだれが by the way =ところで にしたんでしょうね?
そして、それが少なくとも60年くらい修正されなかったのはなぜでしょうね。
わたしの見るところ、それが 学校英語のしつこさですね。
早い時期に覚えたずれにはなかなか気がつかない・・・