多読的シャドーイング

メモ:シャドーイングの理論的根拠!?

つい最近、OreRyuTSJさんのブログを読んで、わたしと二人の間で議論がありました。

OreRyuTSJさんはシャドーイングがどうも好きになれないらしい。
そしてその理由は(わたしの表現ですが)「機械的な作業」に思えるかららしい。
機械的作業はことばの獲得とは無縁だとわたしも考えています。

そこで、シャドーイングは基本的には機械的作業ではないこと、でも、
強制的に機械的作業として劇薬シャドーイングをする必要がある場合がある、
この二つのことをメモしておきます。

一つ
赤ん坊でもこどもでも、時にはおとなにも、意持ちよく耳に入ってくる音は繰り返したくなる。
赤ん坊なら近親者の声、こどもなら気持ちよいリズムやメロディーやリズムを持った音、
そしておとなでも、こどもと同じように繰り返し始める人がいます。

赤ん坊はきっとお母さんのお腹にいる時から、母親の声や父親の声(?)を
脳内シャドーイングをしているのではないかとわたしは想像しています。

安心させてくれる音、気持ちのよい音、気持ちや考えを伝えるのに大事な音は
シャドーイングをしてこちらからも使えるようにすること--これはほとんど本能なのではないか?

わたしがはじめて見た flash mob はアントワープ駅のSound of Music でした。

https://www.youtube.com/watch?v=bQLCZOG202k

YouTubeのページに跳ばない場合は、コピー・ペーストでどうぞ!

回りで見ている人たちが勝手に踊り出したり、手拍子を打ち始めたり、
なかでもわたしが好きなのは2分50秒くらいに映っている女性です。
いかにも我慢できないという風に踊り始める・・・

シャドーイングもそういう素材を見つけることが第一歩かもしれません。

二つ
一つ目から、シャドーイングの素材はぜひ自分でもこんな風に朗読したいとか、
好きな俳優だといった「好き」を基準にして選んでほしいと思いますが、
音についても学校英語の影響を強制的に洗い流す必要がある場合があって、
その場合はなんらかの劇薬シャドーイングが必要になります。

好きな朗読の聞き読みシャドーイングで穏やかに、少しずつ学校英語の音が洗い流される
場合もありますが、学校英語の音の染みつき方によっては、「好き嫌い」は言っていられ
ません。半ば強制的に機械的作業をすることになります。

メモなのでここまでにします。質問があればどうぞメールフォームから寄せてください!

なお、シャドーイングはドリルではないという考えは1年ちょっと前にフォーラムに投稿して
いました。katobushiさんの質問に答えたものです。2012年の12月でした。
それに続く投稿に下の引用があります。

Q1. そもそもどうしてシャドーイングをするのか?

いろいろ理由があります。一つ一つ書くときわめて長大になるので、箇条書きで、いま思いつく理由を・・・

* 外国語の音に馴染む (英語だけではないです。)
耳も、口も、馴染む! メロディーも、リズムも、音にも馴染む!
カタカナ英語の音を洗い流す!

* (特に劇薬シャドーイングは)学校英語の知識を壊して、溶かして、液状化する!?

以上のことをすべてを「スピーキングの足がかり」と呼ぶなら、足がかりです。
けれども「口を使う」からといって、シャドーイングで直接話すことにつながるのではないと
考えています。聞く・話す・読む・書くはつながっています。
シャドーイングは「口を使うドリル」ではないですね。もっといろいろなことにつながっていると
思われます。その意味では

* 文法にもつながっている!

* 書く文章のリズムや流れを自然にする!

この二つはほとんど同じことを言っているといっていいでしょう。(う、我ながら深い!)

 

 

学校英語を洗い流すために・・・ シャドーイング+蘊蓄篇

とどのつまり、わたしの書くことはほとんど全部「脱学校英語」についてなのですね。

ま、それはしょうがない。
世の中のほとんどは学校英語の被害を受けている人なので、
学校英語を洗い流すことができるだけ自然な英語になじむための一番近道ですからね。

で、学校英語の音にすっかりとらわれていた人が、突如抜け出しました。
以下はその報告です。

酒井先生

こんにちは。

17日の金曜講座で聞き読みシャドーイングを先生に聞いていただいたら、

「前回(12月20日)と比べてすごくよくなった」と言われ、私自身とてもびっくりす
ると同時にうれしくなりました。

シャドーイングが苦手で、はじめて講座でやった時も、
本当に一音も声を出す事ができなかったことをよく覚えています。

その後も先生の勧めで劇薬シャドーイングもやってみましたが、
頑固な耳が開かなかったのか、正直言って手ごたえを感じることができませんでした。

シャドーイングを「始められない」ことはよくあります。
速い速度で襲ってくる耳慣れない音に固まってしまうようです。
金曜日のYさんもきっとそうだったのでしょう。
でも、手応えを感じないのにしばらくやってみて、劇薬シャドーイングから
速い英語に移りました。

早いスピードの英語のシャドーイングに移りましたが、
先生に聞いていただくと、「英語でない音が含まれている」とのこと。

たしか英語30パーセント、そうでない音70パーセントという悲惨な評価だったよう
な。

大学で習ってきたのは何だったの?「英語でない音っていったい何!?」

シャドーイングを面白いと思うことなく、しだいにfade outしていきました。

講座のほかのメンバーさんたちはシャドーイングの練習を続けているのを横目で見つつ、私は好きな本さえ読めればいいわ・・・とあきらめムードでした。

それは無理もありません。おもしろくなくて、手応えも感じないのでは
続ける気持ちになれないのは当然です・・・

でもそのままにさせておいてくれないのが酒井先生。

12月に入ってから、強制的に聞き読みシャドーイングが始まりました。

ORTのstage 6から選んでやってみましたが、簡単な文なのにCDと同じように読めない私。

ところどころつっかえてしまいリズムよく読めないのです。

先生は、『マクドナルドの法則』や『なんたらマティーニの法則』(すみません、正
確に思い出せません)を説明してくれましたが、

法則は理解することができても、自分の読み方のどこがその法則に沿っていないのかピンと来ない始末。

ふ~、ため息が出るほど頑固者なのです、私。

こちらも頑固者です。あらゆる方法でcrackしようとします。
(そういえばかつて「半田くん」に「せんせーは強情だから」と言われたのを
思い出します。そうなんだ、ぼくは強情なのか・・・と心に残りました。)

でも事件はその直後に起きたのです。

look

looked

はどう聞こえるか?

両方ともlookなんだって・・・え~うそでしょ!

try

tie

はほとんど同じように聞こえるって、本当なの?

耳障りな音sの音が弱いと指摘され

何度stopって発音しても先生からOKをもらえず・・・

Couldn’tの発音に注意するように言われても

40年くらいこの発音でやってきたんですけど、私・・。

などなど。

とにかく次から次へといろいろな例を聞かされて、頭をがぁんと一発やられたぐらい
の衝撃を受けました。

家に帰って早く音を出してみたくてしょうがなくなり、湯船につかりながらひたすら
発音し続けました。

それから3日間くらいは、何かにとりつかれたように常にぶつぶつtie try die
dry・・と声に出していたように思います。

その時やっと、子音と子音との間に母音を挟んでしまっていた自分の癖に気付いたのです。

お見事! それはなかなか気づきにくいのです。

それも当然ですよね。stop の s の音が出ていない!なんてことは
だれも言われたことがないでしょう。s の音なんて、注目する先生は
いませんからね。

でも、Yさんの場合、 この S の音が転換点だった・・・

そして再度ORT Stage 6を聞き読みシャドーイングしてみました。

子音と子音が繋がっているところがあると、なんだかうれしいという変な感覚。

そしてCDについていけないところやリズムに乗れないところは、思い切って発音するふりだけにしてみました。

以前よりもらくに読めることに気づき、一気に聞き読みシャドーイングが楽しくなり
ました。

文を見ながらのシャドーイングなので、どの部分をとばしたらよいかが分かるように
もなりました。

以上が、お正月休みに起こったことです。

英語らしく読むことに対し、少し欲が出てきたところです。

次回講座で、「あれはやはり幻だったのか」と先生に言われないことを切に願っています。

Yさんの変化はあまりに劇的だったのです。それで、わたしは
「これは夢かもしれない。次回は前のようにカタカナ音70%に戻っているかも
しれない」なんていう、ひどいことをYさんに言ったのです。

いや、もちろんそうはならないという確信はあります。
けれども、不思議なことが起きたという気がします。

シャドーイングではkatobushiさんがひどくはまって先頭を走っていましたが、
先週の金曜日には一気にkatobushiさんに追いついたと思いました。
わたしはYさんに、「なぜこの人に劇薬シャドーイングを勧めたのだろう?と思うくらい
英語の音になっています」と言ったくらいでした。

わずか3週間ですよ! こんなことがあるんですねえ・・・

まだよくわかりませんが、Yさんの場合、劇薬シャドーイングは効かなかった。
速い英語のシャドーイングも効かなかった。そこへ「強制的に」
聞き読みシャドーイングをやってもらって、ついでに英語の音と日本語の音の
違いについてひとくさり蘊蓄を挟んだ・・・それがよかったようです。

(水曜多読講座では、Uさんに劇薬シャドーイングの道を、
Nさんに蘊蓄の道を歩んでもらっています。)

だれにでも「強制聞き読みシャドーイング+日英の音比較」が効くとは
思えませんが、この組み合わせで劇的な変化があることもあると・・・
これはぜひ覚えておきましょう。

さあ、残るは金曜講座の強者Aさんです。
どうやってAさんを攻略するか・・・ わたしは強情ですからね。
まだまだ頑固に攻めます!

でも、どうやって・・・?

音は落ちる チャーチル・マティーニの法則

マクドナルドの法則と表裏一体を成すのが「チャーチル・マティーニの法則」です。

マクドナルドの法則は

英語は書いてある文字をすべて声にする言葉ではない」

ですが、チャーチル・マティーニの法則 は

言ってるつもりだけれども声になっていない!」

ことを説くものです。つまり、英語の音の落ち方の「法則」です。

英語では日本語の場合よりも音の強弱による「音の落ち方」が激しいように思えます。
英語では、強い音はどんなに速く言っても残りますが、
弱い音は小さくなり、かすかになり、消えてしまいます。
それがマクドナルドの法則でした。

チャーチル・マティーニの法則 は、消えたように聞こえる音は実際どうなっているのか、
を説明する法則です。けれども、そもそも「チャーチル・マティーニ」とは何か???

昔は今よりも酒を楽しむための「バー」がいっぱいあって、
ウィスキーや、カクテルを楽しんだものでした。
マティーニはごく基本的なカクテルの一種です。

たしかジンにベルモットを加えて軽く「ステア(stir)」したもの。

(グラスの様子などはwikiの記事を見てください。)

で、マティーニはポピュラーなカクテルですが、ベルモットは果実酒で、
たくさん入れると甘いマティーニになります。

男らしい男ほど、ベルモットの少ない辛口のドライ・マティーニを好むというわけです。
そこで、wikiの記事にあるようにさまざまなやり方でベルモットを少なくした
ドライ・マティーニが誕生するわけです。

・・・ここからはわたしの独断ですが・・・

ジンにしろ、ウォッカにしろ、ラムにしろ、焼酎にしろ、
蒸留酒を一人でストレートで飲むのはアル中ということではありますまいか?
ロックにするか、サワーにするか、トマトジュースを混ぜるか--
それが社交的な飲み方でありましょう。

アル中ではない人の場合はカクテルのベースにしてこそ生きるジンですが、
それをストレートで飲むというのはアル中みたいで人聞きが悪い。
そこで、ストレートではなくカクテルにして飲んでいるのだというアリバイ作りが
はじまったのだと、わたしは想像します。

たとえばベルモットを少量注いで、グラスグラスを軽く振るようにして
内側をベルモットでしめらせたあとベルモットは捨てて新たにジンを注ぐとか、
wikiの記事にある「ベルモットの壜のコルクの栓でグラスの内側をさっと拭いた」あとで
ジンを注ぐなんていう、ベルモットの極めて少ないドライなマティーニが出てきました。

で、問題のチャーチル・マティーニは、ですね、
あの人を食った冗談で有名なチャーチルがこうやって飲んでいたという
触れ込みなんでしょうね、ベルモットの壜を置いて、それを見ながらジンを飲む・・・

・・・ で、「音が落ちる話」とどう関係あるのか、ですか?

はい、音は落ちて耳に聞こえなくても、言っている人の頭の中では
ベルモットの壜のように、ちゃんと意識されてはいるのです。
そしてそのことがリズムを作っているのだと、わたしには思えるのです。

追伸

考えてみると、これは例のうなぎ屋の店先でにおいを嗅ぎながらご飯だけ
掻きこむ職人の話に似てますね。

うなぎ屋の主人が嗅いだにおいの代を払えと迫ると、
職人は事も無げに財布を主人の目の前にぶら下げて、
おぜぜの音を聞かせた・・・

おあとがよろしいようで・・・

続きをお楽しみに!

 

シャドーイングに徹する I さんのまとめ

「旧町の名前をひとつ」で、電通大の卒業生 I さんのすさまじいシャドーイングについて報告しました。

今回はI さんによるまとめです。

2013年9月 5日
シャドーイングのまとめ

筆者のシャドーイングレベルは、英語の音はほとんど聞こえているが、
意味の分からない文章もあるという状況。

シャドーイングをやって至った結論は

あたりまえだけど

「人間は生まれて初めて聞く音は理解できない」

言い換えると

「過去に聞いたことの無い音や聞きなれない音は異音であり、雑音であり、意味を成さない音にすぎない」

詳しく説明すると、人間の目や耳から入る情報は、実際に聞こえたり
見たりしているというよりはむしろ、感覚器官に入った情報を基に、脳内でそれらを
再現していると言ったほうが良いのではないかと思う。

そう仮定すると、英語学習を阻害する日本語フィルターの説明がうまく収まる。
つまり脳内で英語を再現するときこの日本語フィルター作動してしまうと考えられる。
脳内で英語の音、文字を再現するときに作動するフィルターが英語の上達を妨げる原因と推定される。

I さんの言う「日本語フィルター」は前からわたしが言っていることを同じようです。
つまり、学校英語の音が頭の中にこびりついて生の英語の音を脳に到達させないのだと
わたしは表現してきました。

劇薬シャドーイング(酒井先生命名、筆者としては解毒シャドーイングまたは、リンスシャドーイングと表現したい)
は知らない言語を用いることで、脳を戸惑わせ、フィルター作動機能を凍結させるのある。
または、多量に音を流し込むことにより、フィルタリング処理をわざとオーバーフローさせ、強制的にできない音を飛ばす訓練かもしれない。
初めてのこと、知らないことに急にでくわすと、動作も脳の思考も一瞬固まる経験があるだろう。
まさにそれを実行するのが劇薬シャドーイングであり、
この脳内で勝手に作動する日本語フィルターを凍結させる訓練なのである。
不幸にして、脳内に日本語のフィルターができあがっている人は劇薬シャドーイングが必要と思う。

その通りです、わたしの意図は。

以前から使おうとしてためらってきた言い方では、劇薬シャドーイングで「洗脳」しよう
というのがわたしの意図でした。まったく理解できない音を脳に注ぎ込んで、「判断力」を
麻痺させてしまうこと--それを長い間やりたかったのですが、劇薬シャドーイングが
(「解毒シャドーイング」の方が少し柔らかくて、わたしの意図にも合っているかもしれません!)
ついに「洗脳」を可能にしてくれたように思います、今のところは。

そういう意味では、英語をまったく知らないほうが、多読にしろシャドーイングにしろ
大変有利と思う。英語をなまじ知っているほうがハンディーまたは病気、障害であり
治すほうに時間がかかってしまう。まったく英語を知らない子供やお年寄りに多読の天才が生まれるのはそのせいだと思う。治す時間や日本語フィルターが無いからだと思う。
劇薬シャドーイングはフィルター凍結訓練が目的であるので、うまく発音しようとかは考えないほうがよい。
だから音を間違って言っても、言えなくても単純に口を動かすことだけに専念すべきだ。

まさにその通り! 劇薬シャドーイングでも普通のシャドーイングでも、最初の目標は
声を出し続けること。言葉になっている必要はありません!

筆者の推測だが、ネイティブは英語の文章を単語や文字を全部言っていないし、聞こえていない。
欠落すると文章が再現できなくなるキーになる音だけを聞き取り、脳内で英文を再現できているのだと思う。
要は全部言わないので、英語と言うのは手抜き的な会話に必要な消費エネルギーが最小になるような省エネ的な会話になっているとでも言っておこう。
この英語の特徴を知っておかないと、無駄に発音練習したり、全単語すべて発音しようとする
わき道にそれてしまう恐れがある。

いや、シャドーイングに徹したことで、たくさんの洞察を得ていますね!
「無駄に発音練習したり」、「全単語すべて発音しようとする」ことは「わき道」と喝破しています。

まったくです。発音練習を一生懸命やると、全単語どころか全文字をすべて発音しようと無駄な努力をすることになります。

シャドーイングの練習方法にもつながるが、英語のキーになる音さえシャドーイングで言えれば、
ほかの変な音が言えなくても合格点なのだ。音を飛ばしても良い理由がご理解いただけだろうか。
だから安心して音を飛ばして欲しい。この練習を続けると、飛ばした音が、前後の言えた音から補完できるようになる。
例を挙げるとこれはBBCの気象の話題からであるが、
We’ve been talking about Brazil.はWe,Talkin,abou,Brazilしか聞こえない。これで十分意味は分かるけど多読を併用し、音と文字が一致してくるとWeとTalkinの間に have beenがあることが感覚的にわかってくる。
そうなると、We,Talkin,abou,Brazilを聞いただけで、脳内でWe’ve been talking about Brazil.が再現できる。
そのときがくるまで練習して待ちましょう。必ずその時がきます。
このhave beenを聞き取るなんて無理です。はっきりと言ってないから聞こえないためです。
そういう細部にこだわったhave beenなど一字一句を聞き取る練習は必要ないと思う。

一字一句聞き取る練習は必要ないのです、原理的に!
それはディクテーションは無駄だという表現で何度も書いてきました。

(なお、わたしはディクテーションだって、一つ一つの発音練習だって、他の人に輪を掛けて一生懸命やりました。極端形にならないように「発音練習」したり、聞こえない音を落とす練習もしました。その上で、わたしはあれはすべてまったく無駄だったと思っています。嗚呼!)

英語圏の現地で英語音と、状況場面を目で確認できる環境であれば、音のみである会話のレベルの上達が期待できると思う。
非英語圏で英語の上達を期待するならば、視覚に訴える絵本や映像があると効果的と思う。
また、音だけでも英語上達には片手落ちとなる、会話はできるが文字が読み書きできない人がいることからそれは理解できると思う。だからキーになる音と英文を結びつける練習がある一定のレベルから必要と思う。

I さんのユニークなところは 音 が先に来て、それを 文字 と結びつけるという順番なのですね。
普通はその逆ですもんね、日本では。

シャドーイングの効能の一つにリスニング力の強化があるが、
音を口に出すためには、全神経を尖らせないと難しいのはシャドーイング経験者ならすぐご理解いただけると思う。
これは全神経で外国語音を受け止めるから、脳が非常に活性化し潜在意識に残りやすい。
一方よくある聞き流しは、全神経を尖らせないのため耳から耳へと抜けるだけで効果は低いと思われる。
潜在意識に音を刷り込ませるには、何でもいいから口を動かすこと。
つまり、体で覚えると言うことと思う。体を使えさえすればいいので
極論すれば、外国語の音にあわせて手足を振って踊るのでもいいのかもしれない。シャドーイングはいわゆる体で覚えるという作業に近い。

これもまたその通りです。はまこさんを思い出しますね、古参の仲間なら。
はまこさんの踊るシャドーイングを始めて見た時は本当にびっくり仰天したのでした。

シャドーイングで質より量を求める(多読でも同じこと)のは、
全神経を尖らせた状態で潜在意識に多量の外国語の音を脳にしみこませることで、
強制的に聞き覚えのある音にしていくのが目的と思う。
だから、はじめからネイティブみたいなきれいな発音を追いかけるのは無理だし無意味な努力である。
それよりか量を求めるべきである。
当初聞きなれない外国語の音でも、何度も意識的に聞いていたら、聞きなれるし、聞き覚えが出てくる。
つまり知らない気持ち悪い、わけの分からない音ではなくなり、口ずさみたくなる。
口ずさみたくなるということは、脳で音を覚えているということで、これまでまったく間に合わなかった
ナチュラルスピードのシャドーイングに着いていくことが可能になる。

筆者が酒井先生に、アフリカから日本帰国の経由地のロンドンに降り立ったら、まるで日本に帰国したかのような心地よい気持ちに包まれると言ったことがある。もちろん、英語が理解できるのからという理由だけではなく、知らない単語があって、聞こえた英文が理解できなくともシャドーイングにより潜在意識に英語音が刷り込まれているため、ロンドンでは、聞こえる音が全て、気持ちよく感じる。知らない英文であったとしても聞いたことがある音が必ずまぎれているので、まったく英語に対する恐怖感というか、外国にいる不安感というものが感じられない。逆にまったく知らない言語、どこかの先住民族が話すような環境の中に行けば、不安感があると思う。

お見事です。英語の音が体の奥底まで沁み込んでいなければ、「日本に帰国したかのような心地よい気持ちに包まれる」なんていうことは起こらないのでしょうね。うらやましい境地です。

筆者のシャドーイングに関する結論としては、シャドーイングではきれいな発音よりも量を求めるべきである。

筆者のこれからの目標は、文字なし絵本の多読から初めて、CDで読み聞かせ絵本を利用し、
脳内に焼きついた英語の音と結びつけることだと思う。

おもしろいですね! 大方の方向とまったく違うところから多読に迫ることになります。

でも、それこそ をさなごのやうに ですよね。I さん、報告を楽しみに待っています。
安佐北中学校をよろしくお願いします!