マクドナルドの法則と表裏一体を成すのが「チャーチル・マティーニの法則」です。
マクドナルドの法則は
「英語は書いてある文字をすべて声にする言葉ではない」
ですが、チャーチル・マティーニの法則 は
「言ってるつもりだけれども声になっていない!」
ことを説くものです。つまり、英語の音の落ち方の「法則」です。
英語では日本語の場合よりも音の強弱による「音の落ち方」が激しいように思えます。
英語では、強い音はどんなに速く言っても残りますが、
弱い音は小さくなり、かすかになり、消えてしまいます。
それがマクドナルドの法則でした。
チャーチル・マティーニの法則 は、消えたように聞こえる音は実際どうなっているのか、
を説明する法則です。けれども、そもそも「チャーチル・マティーニ」とは何か???
昔は今よりも酒を楽しむための「バー」がいっぱいあって、
ウィスキーや、カクテルを楽しんだものでした。
マティーニはごく基本的なカクテルの一種です。
たしかジンにベルモットを加えて軽く「ステア(stir)」したもの。
(グラスの様子などはwikiの記事を見てください。)
で、マティーニはポピュラーなカクテルですが、ベルモットは果実酒で、
たくさん入れると甘いマティーニになります。
男らしい男ほど、ベルモットの少ない辛口のドライ・マティーニを好むというわけです。
そこで、wikiの記事にあるようにさまざまなやり方でベルモットを少なくした
ドライ・マティーニが誕生するわけです。
・・・ここからはわたしの独断ですが・・・
ジンにしろ、ウォッカにしろ、ラムにしろ、焼酎にしろ、
蒸留酒を一人でストレートで飲むのはアル中ということではありますまいか?
ロックにするか、サワーにするか、トマトジュースを混ぜるか--
それが社交的な飲み方でありましょう。
アル中ではない人の場合はカクテルのベースにしてこそ生きるジンですが、
それをストレートで飲むというのはアル中みたいで人聞きが悪い。
そこで、ストレートではなくカクテルにして飲んでいるのだというアリバイ作りが
はじまったのだと、わたしは想像します。
たとえばベルモットを少量注いで、グラスグラスを軽く振るようにして
内側をベルモットでしめらせたあとベルモットは捨てて新たにジンを注ぐとか、
wikiの記事にある「ベルモットの壜のコルクの栓でグラスの内側をさっと拭いた」あとで
ジンを注ぐなんていう、ベルモットの極めて少ないドライなマティーニが出てきました。
で、問題のチャーチル・マティーニは、ですね、
あの人を食った冗談で有名なチャーチルがこうやって飲んでいたという
触れ込みなんでしょうね、ベルモットの壜を置いて、それを見ながらジンを飲む・・・
・・・ で、「音が落ちる話」とどう関係あるのか、ですか?
はい、音は落ちて耳に聞こえなくても、言っている人の頭の中では
ベルモットの壜のように、ちゃんと意識されてはいるのです。
そしてそのことがリズムを作っているのだと、わたしには思えるのです。
追伸
考えてみると、これは例のうなぎ屋の店先でにおいを嗅ぎながらご飯だけ
掻きこむ職人の話に似てますね。
うなぎ屋の主人が嗅いだにおいの代を払えと迫ると、
職人は事も無げに財布を主人の目の前にぶら下げて、
おぜぜの音を聞かせた・・・
おあとがよろしいようで・・・
続きをお楽しみに!