朝ご飯のときに新聞を見て、ざっと英語の試験の語数を計算しました。
リスニングの問題はのぞいて、約4000語を読まなければならないようです。
これを多読の目安速度* 分速100語で読むと、40分かかります。
これなら残り40分あれば多すぎるくらいですね。
「試験は勘で解く」を実行したら1時間で終わります。
では多読していない生徒の場合は?
辞書と文法で訳しながらこの試験を受ける人の読む速度は
分速50語いけばきわめて優秀な方でしょう。
それでも読むだけで80分かかるので、答える時間は0分!
おおそらく大半の受験生はその半分行かないでしょうね。
分速25語つまり1分間に大人向けペーパーバックを2行読む速さ。
そこで、受験産業(高校を含む)の指導方針は・・・
「全部読んでいたら[=全部訳していたら]時間が足りなくなる。
だから設問の方から読んで、該当箇所の見当をつけて、そこだけ訳す!」
それは「勉強」とは言えません。試験以外に何の役にも立たない。
学習とさえ言えません。何も身につかないのだから。
これはセンター試験だけの問題ではありません。
日本はおそらく何もかもそういう無駄をするようになっています。
バブル崩壊後の日本人はおそろしく自信を失って、
試験の点数とか、長時間労働とか、提出物の多さとか、
本質とは関係ない「数字」に血道を上げるようになりました。
50年前は単語帳で単語を覚えるやつなんて変わり者だった。
今は学校が単語帳を買わせる!
先生自身が自信がないから、ほかの高校に横並び!
ブラック部活と同じ発想と構造が見られます。
ああ、もうたどくらぶに行く時間です。
この手の文句を書き始めたら何日もかかってしまう。
最後に一つだけ・・・
日本がほんとにダメだなと思ったのは、
なんとセンター試験の最初に発音とアクセントの問題がある!
リスニングの試験が入ったのだから、いらないはずでしょう!?
文科省は何を考えているのか・・・もちろん何も考えてはいない。
ただ前例を破れないだけ。
*目安速度1分間100語(100wpm)はぼくが勝手に考えている目安で、
たいした根拠はありません。学生の読む速さを観察しながら、
100wpm まず確実に日本語に訳さずに読んでいる。
70wpm たぶん訳していない。でも訳している場合もある。
50wpm 訳している可能性あり。もっとやさしい本あるいは聞き読みを勧める
50wpm未満 訳している可能性大!
もっとも、150wpm以上でも高速和訳していることがあるので、
観察だけでは和訳しているかどうか、判断できません。
「日本語に直しながら読んでいますか?」と尋ねます。
「はい」と答えたら、「それは分からないところを和訳しているの?
それとも分かるところだけ訳しているの?」などと訊きます。
前者なら、「分からないところはだんだん飛ばせるようになりましょう」
後者なら、「訳さなくてもわかるやさしい本にしましょう」と言うか、
あるいは聞き読みを勧めます。
いずれにせよ、目安は目安です。読んでいる人と話しながら道を見つけます。