まだ多読を広め始めたばかりのこと、2003年くらいのことでしょうか。
谷口幸夫という都立高校の先生がリーダーをしていた集まりで多読の話をしました。
40人くらいの若い英語の先生を相手にわたしはこれまでの英語の授業が
いかに間違っているかを滔々と語り、若い人たちのやっていることは
箱庭をきれいに飾っているにすぎないと力説したのでした。
(わたしが話す集まりの一つ前の集まりに出て、数人の先生の発表を聞いてありました。)
大変不評で、集まりのあと予約してあった飲み屋に幹事以外一人も
来なかったそうで、谷口さんに「こんなことは初めてです」と
文句を言われました。その上若い幹事のみなさんとそこでまた
議論になって、みんなにそっぽを向かれたのでした。
それ以来「北風はだめです。太陽政策で行きましょう」と、
古川昭夫さん、佐藤マリアさん、河手真理子さんという
SSS創立メンバーにこぞっていさめられたのでした。
それで北風を収めて太陽に転じたつもりでしたが、
以来10年以上たって、改めて北風路線をちらっと考えます。
つまり「先生方、なにやってるんですか!」と直截にもの申す時期が
また訪れたかも知れないと思うことがあります。
太陽政策で「多読はいいですよ。こんなにいいことがあります」という
プラス面だけ強調してきましたが、それだけでは先生方はどうも
これまでのやり方を変えようとまでは思わないのですね。
たとえば最近ある集まりで、高校の英語の先生に太陽政策で話しました。
するとこんな反響が・・・
来ていただいた先生方に感想を一人一人聞いてみました。
皆さん、とても面白かった!興味深かった、と言ってくださいました。・言語習得の話などとても深い話で勉強になった。
・なるほどな、そのとおりだなと思った。
・このようにすればliving Englishが習得できるのだろうなと思った。などなど、皆さん多読にはとても好意的な感想を持っていただいたようです。
ただし、実際に授業で導入するか、指導するかという話になると。。。・やってみたいと思うが、授業で取り入れるのは怖い。
・理想はそうだと思うが、高校の現場で行うのは難しい。
・考え方は取り入れたいと思うが、自分の授業に取り入れるのは難しい。と、かなり否定的な意見が。。。。
多読導入に否定的--「理想はそうだと思うが・・・」、「自分の
授業には・・・」--新しいことに一歩を踏み出してもらうには
多読の魅力をもう一息伝え切れていないのでしょうか?
また、多読のやり方に疑問が残った先生は、
「単語を調べないという考え方は良く分からない。
自分自身が単語を調べないで英文を読んだことがないから。
辞書指導もどこかの段階では必ず必要だと思う。」という意見も頂きました。
この先生の、「自分がやったことがないから」という意見が、
とても素直な感想で、なかなか英語科の先生たちにはハードルが高い部分なんだろうな、と思いました。自分がそのようなやり方で英語ができるようになっていないから、
英語力が伸びるのか分からない→だから自分が習ってきたやり方で生徒にも教えている。
ここです。北風が必要かも知れない理由は。
「自分がやったことがないから自分が習ってきたやり方で教える」
--ここには先生たち特有の「満足感」があるのですね。
自分が先生になれたのは英語ができたから、自分が英語ができるように
なったやり方をそのままやっていれば自分と同じように英語が
できるようになるはずだ・・・
その「自分が英語ができる」という前提が間違っていると
わたしは考えているのですが、それを伝えようとすると、
やはり北風政策で行くしかないのかもしれない。
「多読が良さそうなのは分かる、でも。。。」
という英語科の先生方の意見がほとんどでした。
私自身もとても理解できる感想だったので、酒井先生がおっしゃるように、無理に多読を広げようとせずに、まずは自分の生徒から「深めて」いこうと思っています。
もう一つの手は、これがいちばんまっとうな道かもしれませんが、
生徒の変化を見せつける! これは太陽政策というより、床暖房政策かな?
いずれにせよ、年を越そうという真冬に北風は
避けられれば避けたい。そのためには多読支援を深めて、
納得した人から多読授業を始めてもらう?