をさなごのやうに Type A と Type B?

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こどもがをさなごのやうなのは当然ですね。

で、今回は おとなが絵で学校英語を越える 話題の続きです。

文字ばかり見ていると大事なことを見逃しますよ!

先日の look と see の投稿ですが、実はもっと核心に近づいた発見を
知らせていただいたのでした。まずそれを追加して、
それから別のおとなの例も紹介します。

スープの味見をした瞬間閃いた!
Lookは、物事を選んで見る事。
See は、物事を理解して見る事。あれ?

これはもうほとんど「わたしの考える」正解そのものですね!
Look と see について、わたしはものすごい発見をしたつもりでいました。
ところが絵本から始めたおとなでも、英語をとくに勉強したことのない場合は
あっさり「見る、見える」の壁を越えて本質に近づく
(いや、そもそも壁がなかった?)

実際、look と see の違いについて話をすると、反応は二つに分かれます。
Type A:一つは英語をよく勉強した人たちで、たいてい「おぉー!」と感心してくれます。
(いちばん感心してくれたのは東京大学で英語学の先生をしていた英和辞典界の
長老でした。手紙で褒めてくださった。)

Type B:もう一つの反応は英語を勉強しなかった人たちで「なんのこっちゃ?」と
すげない反応です。(←こちらの方が望ましい!)
そういう人たちには、えてして「見る・見える」の壁はそもそも存在しない。

とはいえ、スープの味見の瞬間に閃いた洞察は、Type A から見るとすごいです。
でも Type B にはどうすごいのか分からないでしょうね。
絵本を数百冊楽しんでいたら、自然にそう思えたというだけのことでしょう。
お勉強好きの Type A には想像もつかない・・・

それではよく勉強した Type A には希望はないかというと、そうではない!
その証拠を一つお目にかけましょう。
フォーラムでも投稿しているパンプキン夫人は最近わたしに
「cry って「泣く」じゃないんですね」と言いました・・・

それに気づいたのが、だいぶ前で何がきっかけだったのか忘れてしまいました。。。
ただ、挿絵を見て、明らかに登場人物が「泣いていない」、
むしろ「大声で呼びかけてる」もしくは「大声を出している」ように思えました。
そういうシーンに何回も出会いました。

↑ ここです! 「そういうシーンに何回も出会う」--それがすべてです。

「cry=大声を出すような状態」とすると、
泣く場合で使われている「cry」は「大声を出してわんわん泣く」
という感じなのかなと、ふと思いました。

あと追加で、これも前に気づいたことなのですが、ORTに出てくる犬の「Floppy」とい う名前。
私は、JohnとかMaryのような名前の一つだと思っていたのですが、意味があったのですね。

Henry and Mudgeの本でHenryがMudgeを飼ういきさつが書かれている回で
(確か1冊目だったような?)
「Floppy dog」という表現が出てきたのですが、
挿絵を見ると「耳がたれている犬」が描かれていて、
こういう意味だったのか!と衝撃的でした。
(確かにORTのFloppyも耳が垂れている)

cry も floppy も、絵から気づいた!
犬の耳が垂れている「シーンに何回も出会った」わけです。
でも、文字ばかり見ていたら、Floppy の耳が垂れていることも、
Henry and Mudge に出てきた犬の耳が垂れていることも、
気がつかないでしょう。

おとなになればなるほど文字にばかり頭が向かうけれど、
大切なのは絵なのですね。文字は絵の世界への手がかりに過ぎない・・・
手がかりばかり眺めていても、文字と絵が結びついていなければ、
世界を思い浮かべることはできない!

実は cry と floppy の役割を絵本から時間したパンプキン夫人は英語をかなり
勉強した人です。よかったですね、絵本に戻って!
絵本には学校英語を洗い流す効果がありそうですね。
Type A から Type B への変身は容易なことではありませんが、
パンプキン夫人はうまく変身しようとしているようです。
かぼちゃが馬車になる日も近い!?

「ある人」、パンプキン夫人、ありがとう!

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