トップダウンとボトムアップ・・・ フォニックス再論

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表題の件で山崎僚子さんから Facebook でメッセージをいただきました。

ひとり読みできるようになったのはphonicsのお陰だからと、アメリカ人も英会話レッスンに勧めてるよと、アンチphonicsの私に反論が。 でも深く?考えてみると、会話できるようになったけど読み書きできない移民の子や、ペラペラネイティブの子には、phonicsはトップダウンの補助薬として効果あるわけで、スタートライン近くでphonics投薬すると、すくすく育つはずの子の体にも心にも障りそうです。

アメリカ人がフォニックスを高く評価するのはよくあることだと思われます。
というのは、以前に書いた日本でフォニックスを試みることの矛盾の一つが
アメリカにはないからです。すなわち吸収量の違いです。

すでに書いたのでくわしくは書きませんが、日本でフォニックスを利用するには
二つの大きな矛盾を免れないと思います。

一つは日本では英語の吸収量が少なすぎること。
アメリカで成功を博したのは、対象が毎日たくさんの英語を見聞き、話している
こどもたちだったからでしょう。大量に溜まった英語の音と文字の仕組みを
ある程度整理してくれるので、読み書きにつながりやすかったのだろうと
思います。まさにトップダウンを補うボトムアップの役割ですね。

日本では英語の吸収量があまりに少ないから、山崎さんが書いているように、
まだ体に英語が溜まっていない段階でフォニックスの規則を「教える」のは
(たとえ歌を使おうと)、やはりこどもによい影響はないでしょう。

セサミストリートはフォニックスに基づいた幼児向け番組で、
わたしは大好きでした。日本のテレビに登場したばかりのころ、
テレビの出現した意味はこの番組にあると思ったくらい感心しました。
センスがいい! 登場人物(?)も歌も仕掛けもなんとも洒落ていました。
しかしあれは

「フォニックスにもかかわらずセンスがいい」 あるいは
「フォニックスとは関係なくセンスがいい」

というべきでしょう。

もう一つはフォニックスには誕生そのものに矛盾があるのです。
フォニックスが登場したのは英語の弱点を補うためだったと思われます。
つまり、スペイン語やドイツ語やフランス語などは文字を声に出して
読むときにほぼ一つの読み方しかありません。

ところが英語は同じ綴りのようでいて違う読み方をするものが山ほどある。
よく言われるのは ghoch ですね。これは架空のことばですが、
これを fish と読むこともできます。くわしくは

https://www.englishclub.com/esl-articles/199909.htm

↑ ここにあるように、to、two、too はみんな同じ音!
英語の音と綴りの関係はもうめちゃくちゃと言っていいでしょう。

(日本語もめちゃくちゃさ加減では負けていません。
音読み、訓読みの複雑さ、漢字を見ただけではどう音声化していいか
わからないものがいっぱいあります。)

そこで、矛盾が生じます。
英語は音と綴りの間に一貫性がないために話せる、聞けるけれど
文字は読めないこどもたちがいっぱいいる。
そこで無理矢理見つけた規則がフォニックスなのですね。
そこで全部で何十にもなって、とても覚えきれるものではない。
一つの問題を片付けるつもりで別の問題を生んでしまった。

それでも英語の吸収量の多いアメリカであれば、
ある程度の規則でも、「読めた!」とこどもたちは喜んで、
文字をこわがらなくなるというような効果はあるのかもしれません。

日本では事情が違うので、たいした効果は期待できないわけです。
せいぜいセサミストリートの歌のように、英語って楽しい!と
こどもが思ってくれたら上出来でしょう。
去年だったか、新宿であった小学校英語に関する集まりで、
文部科学省の人が「フォニックスは期待したほど効果を上げていない」と
言っていましたが、そもそも期待するのが間違いですね。

量のないところで何を工夫しようと賽の河原の石積みです。
多読初期から言っている 質より量 の謂です。

以上はすべて一度書いたのだけれど、みごとに再論になってしまいました。
山崎さん、お待たせしました。引用許可をありがとう!

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