考えてみれば「町の名前をひとつ」はずいぶんウンチク話ですね。
それでも何人か読み続けている人がいるようだし、
近々ウンチク話ではなくて、多読・Tadokuを初めて知る人向けのブログも
できる予定なので、このまま突っ走ります。
古くからの読者は分かっていると思いますが、
わたしは「ブログで考えている」ようなもので、
メモと称してこれまでにも生煮えの考えをぽんとブログに投げ出して、
それでみなさんの反応で引っ込めたり、考え直したり、深めたりしてきました。
多読・Tadokuはトップダウン のこともよろしくお願いします!
「つまり、本1冊がひとかたまりだったのが、何度も聞くうちに見開きページごとに分かれてきたのだろうか?!それが次には段落ごとに分かれて、さらに文ごとに分かれて、いつか bitesize を意識できるようになって、それが語単位で分かれて、ついには文字と音の関係が分かってくる?」
ブログをみた。この部分をみたら、おっかしくって、メールした。bitesizeのとこからは、私は知らないが、その手前、本一冊がひとかたまりだったのが、文ごとまで、だんだんと、わかれて、見えるようになってくるのは、何年も、くりかえし、ピアスさんのMinnow on the Sayを、読んで、景色が見えるようになっていった経過と、ほぼ、同じだなあと。それがあまりによく重なったので、メールした。
ありがとう! 「ことばは音から」のYさんの報告のように、
実際にトップダウンという仮説に合った現象、合わない現象について報告があると
仮説が当たっているか、いないのか、少しずつ明らかになります(はずです)。
前に、スペイン語もやってみたくなったとき、国立子ども図書館の絵本の部屋へ行って、一日中居座ってみたことがあった。スペイン語の絵本ばっか集めて、開いたり閉じたりしながら。最初、ってか、ほぼ一日中、背にあるタイトルの文字からは、どれがスペイン語でどれがちがうのか、見分けられなかったんだ。それで、「スペイン語」を示すラベルを見て、本を選んでた。で、丸々一日、いっぱい見て、ただ本を触って、ページをめくって、眺めて。で、いよいよ、閉館時間で、帰るとき、出口で振り返ったら、なんと、来るときは、のっぺりした壁のようなひとかたまりの風景だった本棚に、キラ!キラ!って、スペイン語の本が、見えるように、なってた。スペイン語が「わたしがスペイン語です!」って、飛び出して見えるんだよ。
こういう「をさなごのやうな」経験をおとなも実感できるのですね!
うらやましい・・・
Hさん、メールをありがとう!