直前の記事でYさんの観察報告を引用しました。
そして我田引水で、その観察が多読・Tadokuの要8かなめ)を
明らかにしてくれるかもしれないと書きました。
その要というのは「多読・Tadoku はトップダウン」という見方
なのですが、これはとても説明がむずかしいかと思って、
ほとんど話題にしてきませんでした。
ところが直前の記事をTwitterで広報したところ、
グリーンさんから「今まででいちばん説得力がある」と
返信ツイートがありこれはえらいことだ、むずかしいと思っていた
説明をもう少しやってみようかちという気になった次第・・・
トップダウンの反対はボトムアップですね。
わたしの理解では
ボトムアップはこれまでの外国語学習の方向。
トップダウンはこれからの多読・Tadokuの方向。
二つは完全に逆です。
あわてて説明を試みるので、メモ以上にはならないかもしれませんが、
少しずつ書きためて、いずれまとめることにします。
*ボトムアップはこれまでの外国語学習
できるだけ小さい単位(一つ一つの音?)を見つけ出して、
それを「マスター」してから、
その単位をいくつかまとめて次のレベル(語)へ進む。
それをいくつかまとめて次のレベル(文?)へ進む。
このボトムアップ方式では、その先のレベル(段落? 小論?
本1冊?)のことはほとんど考えません。
最近突然パラグラフ・ライティングやエッセイ・ライティングが
話題になってきましたが、まだまだ本1冊には届いていません。
(トップダウンの見方からすると、現在の形だけしか考えない
エッセイもパラグラフもあまりに卑小で近視眼的ということに
なります。)
*ボトムアップの典型は発音練習からフォニックスまで
トップダウンの極は劇薬シャドーイング
発音練習やフォニックスは無駄であります。
だれもそれで英語独特の音を聞き、出せるようになった人は
いないのではないか? わたしは少なくとも一人も知りません。
発音練習の愚とフォニックスの矛盾についてはメモでは
書けないので、いずれ書きます。
多読的シャドーイングは細部は捨てて、最初は全体から入ります。
最初は劇薬シャドーイングで「タモリの4カ国語麻雀」のように、
なんとなく英語らしい、中国語みたい、フランス語そっくり、
韓国語かな、と聞こえることを目指します。
そこから少しずつ、雰囲気だけでなく、それぞれの文のリズムや
メロディー、メリハリ、bitesizeのかたまりの「それらしさ」、
そして、いずれ個々の音の「らしさ」が姿を現します。
そんなのが 音のトップダウン です。