souvenir は「お土産」だろうか? 犬も歩けば棒に当たる

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犬が歩くと棒に当たる、アンテナが立つといくらでも実例が引っかかってくる。
それが「多読/tadoku」のいいところですね。

5日のNPO多読講座でも、何かの拍子にわたしが「あ、そういう時は
struggle という表現ちょうどいいんですよ」と言ったところ、
そこから英語で自由に話している中で struggle を使える場面が二度も
出てきて、わたしは「これぞtadoku!」と思ったのでした。

で、今回はわたしが当たった棒と、モーリンが歩いて当たりに行った棒・・・

「多読/tadoku」支援ではもちろん教えないことが原則ですが、
「話す書く中心クラス」の人たちはたいてい2年を越えていて、今では
教えるというよりは仲間として、ヒントを上げてもちっとも害がないところに
来ていると思います。みなさんもう「先生に教えてもらう」という姿勢をすっかり
忘れているのですね。だから時々はそうやって「教えること」をやっても
受講生が生徒になってしまう危険はほとんどないと思われます。
ひたすら先生の言うこと、書くことをメモして、覚えようなんていう心配は
ないわけです。むしろ、「いいこと聞いた! それ使ってやろう!」という気持ち
なのでしょうね。

(「教わる」姿勢の時は、「いいこと聞いた。今度は間違えないようにしよう。」ですね。)

「教わる」で言うと、わたしはこのところ Ken Follet の20世紀三部作を読み始めた
のですが、完全に教わる姿勢です。第一巻 Fall of Giants は20世紀初頭の激動、
つまり帝国の解体、第一次世界大戦、ロシア革命、国際連盟への動きなどという
まさに世界史の復習をやっています。話の筋立ては予想が簡単につく大河小説、でも、背景がおもしろい! その中で souvenir が出てきた・・・

The others started looking for souvenirs. They picked up pointed helmets, cap badges, and pocket knives. George Barrow examined all the dead Germans and took their watches and rings. Tommy took an officer’s 9mm Luger and a box of ammunition.

悲惨な塹壕戦のあと、勝ち組が横たわる敵兵の間を歩きながら souvenir を
探しているのですね。だれかも書いていましたがこれが souvenir の典型的な
使われ方のように思われます。お伊勢参りのお土産というと今なら「赤福」かな?
そういう「お土産」とはだいぶ違いますね。

一方で、伊勢神宮の家内安全のお札となると、お土産であり souvenir でもある
かもしれません。わたしの今までの感じではお菓子などの食べ物はsouvenirからは
いちばん遠いお土産のようなきがします。

モーリンさんが当たりに行った棒はこんなのです・・・

酒井先生、こんばんは。モーリンです。

以前、お話していたように「江坂の洋書屋」さんで毎月あるブッククラブで講師に “souvenir” について聞いてみました。

説明では、旅行に行った先で家族や友達にプレゼントするために買う物だということでした。

一応背景を話して再確認し、確かに日本人は近くの旅行でもよくお土産を買うが米国では海外に行った場合などかもしれない、と言ってくれましたがこれはどちらかと言うと話を合わせてくれた感じでした。また、自分用に買う場合はどうかとも聞きましたが、そういうケースもあるというぐらいのものでした。

この人は奥さんは日本人ですが、日本に来て数年でまだ日本語もほとんど話せませんので、日本に毒されているということはないと思います。また、聞いた内容が米国では常識的なものかも確認しましたが一般的なものだということでした。
ということで、少なくとも米国の30代男性にとっての “souvenir” は日本人が一般的にとらえている「お土産」のイメージと差はないようです。

せっかく Native English Speaker に確認したので、報告しておきます。

日本中を飛び歩かれて忙しそうですが、寒さが厳しくなってきているのでお体をお大事に。

では、また。
モーリン。

実に行き届いた報告です。出版物などで、日本人が書いた英語をいわゆる「ネイティブ・スピーカー」にチェックしてもらうことがあって、いまは結構流行なのですが、その「ネイティブ・チェック」が実はチェックになっていないことがあるので、
モーリンさんのようにいろいろなことを考慮に入れて「妥当性」を見立てる必要が
あると思います。

で、モーリンさんに一つお願いですが、この米国の30代男性の souvenir に、
食べ物は入るだろうか? 戦利品みたいなものは入るか? ということを
再度たずねてくださるとうれしいです。

********************************

ついでにわたしが Fall of Giants で当たった棒の例です。まず、「従う」と言いたい
時に obey と言っていませんか? という例。

‘How could he refuse the King?’ A man should obey his monarch, Fitz believed, especially a Conservative.

Isaak said: ‘Is the Tsar really going to order the army to machine- gun his own people?’ Grigori said: ‘If he does, will soldiers obey him?’

obey についてアンテナが立ったのは前々回の金曜多読講座でした。
ある人が 上司に obey しなければいけなくて嫌だ と英語で言ったので、
わたしは仲間として口を挟みました。いや、あの時はかなり「先生」だったかな?

上の最初の例は英国王の言うことにはだれでも「従う」はずじゃないか、という
繋がりの中で、また、二つ目の例はロシア皇帝の命令に「従って」同胞を
機関銃で撃てるか? というつながり。

どちらも尋常じゃありませんね。でもこれは obey のかなり典型的な使い方だと
思います。上司の言う通りにするくらいのことで obey はやっぱり過剰ですね。
「従う=obey」と反射的に出てくるわたしたちはなんなんでしょうね?

もう一つは「remember=覚える」だろうか? でアンテナが立って・・・

I think every day of the moment when we will meet again, and look into one another’s eyes and say: ‘Hello, my beloved.’ Until then, remember me.

第一次世界大戦ははじめ数ヶ月か半年で決着がつくのではないかというので、
始まったのに、4年以上も続いたようです。その半ばで、会った英独敵同士の
恋人二人の交わした愛の言葉です。

こおでは「ぼくの顔をよく見て戦争が終わるまで忘れないように今覚えてくれ」
ではなくて、「戦争が終わるまで、思い出してくれ/覚えていてくれ」ですね。

「覚える」と「覚えている/思い出す」はとても微妙な違いなので、
「remember=覚える」と覚えてしまうとしてもむりないかもしれません。
けれども、stop が「止まる」とひったり同じではないように、
「remember=覚える」も「忘れる」方がいい組み合わせですね。

そうでないと、聖書の訳のように、なんだかわけの分からない日本語になって
しまいます。

「汝の若き日に汝の造り主の名を覚えよ」

若い内に神の名を「覚え」なさい、歳取ると記憶力がなくなるから?
・・・そんなばかな!

英語では Remember also your Creator in the days of your youth, などと
言うようですが、どの英語訳を読んでも「覚えなさい」ではなく、
「思い出しなさい」ということのようです。あとにどういう文章が続くかというと、
歳取るといいことなんてなくて神の名を呪いかねないから、という風に
わたしは読みました。

ただし、この日本語訳は昔そうだったように、 「覚えよ」 を 「意識せよ」
という意味で使っている可能性もありますね。それなら英語の remember の意味に近くなるような気がします。

(その場合は昔の 「頭(こうべ)」 が廃れて、今は 「頭(あたま)」 だけに
なってしまったのに似ているかもしれません。「head=頭」ではないという話は
「どうして英語が使えない? 学校英語につける薬」(ちくま学芸文庫)に
書きました。kindle版もあります。)

モーリンさん、すばらしい話の種をありがとう!
みなさん、歩かなきゃ棒にもぶつかりません。いっぱい歩きましょう!

追記
なお、上の日本語訳の部分の英語訳は次のページに各種聖書の訳がずらっと
並んでいます。こんな便利なサイトがあるのですね。語学オタクには格好だ。

http://biblehub.com/ecclesiastes/12-1.htm

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