もう何ヶ月もこればっかり考えています。(ほかのことを考えていない時は・・・!)
わたしは本当に自分の言っていることを自分では実行していない。
つい最近まで多読していなかったことを初めとして、
みなさんに「こうするといいですよ、ああするといいですよ」と勧めていることで
わたし自身がやっていることはほとんどない!
で、「音は落ちる」もその一つ・・・
もう何ヶ月もこればっかり考えています。(ほかのことを考えていない時は・・・!)
わたしは本当に自分の言っていることを自分では実行していない。
つい最近まで多読していなかったことを初めとして、
みなさんに「こうするといいですよ、ああするといいですよ」と勧めていることで
わたし自身がやっていることはほとんどない!
で、「音は落ちる」もその一つ・・・
Bitesize の議論の仕方そのものについて疑問が呈されました。
なるほど、です。どうして今までのような議論になっているのか、
考えました・・
こうして意見をもらえることはとてもうれしい!
Twitter でも意見をもらっています。それは明日紹介します。
まず S さん・・・
私は「標語」というのにも抵抗を感じます…
そもそも、なぜ bitesize writing / speaking なのかといえば、それが「普通の文」だからということですよね。それならば、bitesize という言葉を持ち出さなくても、NPOの講座で繰り返し使っていた「真似する・借りる・盗む」を実践していれば、自ずと bitesize であり、「普通の文」ということですよね?
「真似する・借りる・盗む」はわかりやすいのではないかと思います。
きょう、第3回のたどくらぶがあって、そのあと10人で食べ、飲みにいって、
そこで、bitesizeを反対側から見た(ちゃぶ台をひっくり返した?)意見が出て、
なるほどと思ったので一口メモにしておきます。
(くわしい報告はフォーラムで!)
いわく、bitesizeは分かりにくいと・・・
で、それを一口大、一口サイズと言われても分かりにくいと・・・
なぜなら一口大、一口サイズというのは食べる時の大きさの単位だと・・・
しかるに「話す・書く」のbitesizeは口から出す方であると・・・
むしろ・・・
「一息サイズ」と言った方がわかりやすいのではないか!?
ぐうの音も出ないとはこのことですね。
で、みなさんにまたお伺い--「一息サイズ」と呼べば、少し分かりやすくなりますか?
例によって、連絡先は・・・
連絡先・・・
Twitter: @kunisakai
Facebook: 酒井邦秀
メール: tadokuorgあっとまあくgmail.com (NPO多言語多読事務局宛て)
sakaikunihideアトマアクgmail.com (さかい個人宛て)
LINE: さかい@多言語多読 (まだ使い方が分かってません!)
新しいTadokuの標語のために、よろしくご協力のほどを!
(ちゃぶ台をひっくり返してくれたOwlyさん、ありがとう!)
2週間前でしたか、NPO多言語多読の講座を卒業した人たちが「たどくらぶ」という
サークルを作って、活動を始めたと書きました。
外国語を勉強して何をするのか--これは不思議にこれまで大きく意識されることは
なかったのではないでしょうか? 勉強は生涯続けるものだとばかり、
地道にコツコツ、継続は力なり、というのがこれまでの外国語学習で、
そこに試験が加わって、いよいよ外国語は勉強するものであって、
何かに使うものとは思われてこなかった。
NPO多言語多読の講座は違います。実際に仕事で使ったり、通訳ガイドや
翻訳を始めた人も出てきた。その一方で、もう一度NPOの講座を受け直す人たちも!