一つ前の記事を読んだ人は、ひょっとすると
「よし発音練習と消音練習を両方がんばるぞ!」
と考えた人がいるかもしれませんね。
発音練習は無理と言っているのだから、消音練習もあり得ないわけで、
この二つは一つの硬貨の裏と表の関係です。
じゃあ、なんで消音練習などと言い出したのか?
一つ前の記事を読んだ人は、ひょっとすると
「よし発音練習と消音練習を両方がんばるぞ!」
と考えた人がいるかもしれませんね。
発音練習は無理と言っているのだから、消音練習もあり得ないわけで、
この二つは一つの硬貨の裏と表の関係です。
じゃあ、なんで消音練習などと言い出したのか?
ディクテーションは無駄、発音練習も不可能と書きましたが、
先日の特別セミナー「多読的シャドーイング入門」で、
消音練習ということを思いつきました。
いったい何、それ?
Aiさんは山形県天童市で児童英語教室を主宰しています。
わたしの知るかぎりいちばん若い先生ですね。
実はこれまでにも何度もわたしのブログに登場しているので、
名前を出すことをゆるしてもらいました。ありがとう!
きのうの記事の「ある人」にAiさんは共感してしまいました・・・
「ディクテーションには意味がない」なんていう、きっとほとんどの人には「寝耳に水」
みたいな話に付き合ってくださって、正面から返事をくれた人がいます。
ありがとう!
その全文を紹介して、無意味な理由をさらに掘り下げようと考えています・・・
二つ前の記事「ディクテーションはなぜ無意味なのですか?」で
無意味な理由を二つ書きました。
*音は落ちる
*音は変わる
今回は二つ目の「音は変わるものだからディクテーションは無意味」という話です。