ディクテーションは無意味!? もう一つの理由

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二つ前の記事「ディクテーションはなぜ無意味なのですか?」
無意味な理由を二つ書きました。

*音は落ちる
*音は変わる

今回は二つ目の「音は変わるものだからディクテーションは無意味」という話です。

「音は落ちる」で、ない音を必死に聞こうとすることは意味がないと書きました。これはわかりやすいはず。
「音は変わる」では、変わってしまった音を文字にする根本的矛盾について書きます。これはちょっとだけわかりにくいかも?

具体的な例を出した方がいいですね。
日本独特のディクテーションの姿を思い浮かべてください。
両手でヘッドホンを耳に押し当てて、目をつぶって、聞き取れない部分に集中します。

in なのか? on なのか?
the なのか? a なのか?
look なのか? looked なのか?
was shot なのか? were shot なのか?
What do you なのか? What are you なのか?

シャドーイング・セミナーでは実際に音を聞いてもらいますが、
上の二つ一組はまったく同じ音になってしまうことがよくあります。
どのくらいよくあるかというと・・・
何気なくしゃべっているときは必ず同じになる、と言っていいでしょうね。

上の組み合わせをはっきり違えて言っていたら、
それは相手が英語が非常にできないと思われているためか、
非常に腹を立てているためか、どちらかでしょう。

極端に思えますか?
もし「そんなはずはないだろう?」と考えたとしたら、
耳を文字という鱗がふさいでいて、聞こえるままの音が
脳に届かなくなっている可能性があります。

(それはわたしが何度も何度も経験してきて、
いまもほぼ毎日経験していること。)

よい例が映画 My Fair Lady の中にあります。
わたしの持っているDVDでは 1時間11分30秒あたりから2,3分を聞いてみましょう。

この場面までは、音声学のヒギンズ教授に花売り娘のイライザが
上流階級の英語の音を習っています。
イライザはおっそろしく訛りが強くて、なかなか直りません。
たとえば ei の音が ai になってしまう癖は英国南部の庶民の訛りで、
He went to the hospital today. が
He went to the hospital to die. になってしまうというので有名です。

ヒギンズ教授の家で泊まり込みの発音矯正が始まって何週間か、
どちらもすっかり疲れ切ったある深夜、イライザはヒギンズ教授に
「もう1回だけやってごらん」と言われて、半ばぼーっとしながら
The rain in Spain stays mainly in the plain.
ということわざ風の文を1語1語区切るようにしてゆっくり言います。

するとですね、今までずっと ei が ai になって、カタカナで書けば
「ザ ライン イン スパイン スタイズ マインリー イン ザ プライン」と
言っていたのに、なんときれいに
「ザ レイン イン スペイン ステイズ メインリー イン ザ プレイン」と
言えたではありませんか! パチパチパチ!!

でもヒギンズ教授は耳を疑って、「なんだって? もう一度言って」と
確かめようとします。するとイライザは見事に言えるのです、二度目も!
映画はここから一緒に苦労してきたピカリング大佐を含めて、
3人が大喜びで踊り始めるわけですが、
わたしたちに肝心なのは、2度目に言った時には、
最後から二つ目の語が最初と変わっている!
「ザ レイン イン スペイン ステイズ メインリー イン プレイン」!!

もちろん「イン ア」は「イナ」となっているんですけどね、
「イン ザ」ではないのです、どう聞いても。
このあとイライザは何度もこの文を言いますが、
どれも in a plain と「発音」するのです。

しかも最初はたしかに in a plain だったのに、
どうも on a plain と聞こえてくる!

さて、この文を「ディクテーション」した場合、
正解は
in the plain、
in a plain、
on the plain、
on a plain
のどれなのでしょうか?

聞こえたままなら on a plain でもよさそうですが、
字幕を出すと in the plain となっている!
on a plain と聞こえるのに、in the plain と正解するには、
音以外の、文法や語彙の知識が必要になります。
いくら耳を澄ませても、答は聞こえてきません・・・

ディクテーションが聞くことでも、話すことでも、
直接音の獲得にはつながらないことが納得できたでしょうか?

もう一度「直接」という言い方をする理由を書きます。
ディクテーションの目的のために何度も聞くと、
それ自体は無意味でも、聞こえない部分を何度も聞いて、
音が変わっている部分以外を何度も聞くことになって、
それで間接的に音に慣れるということはあるかもしれません。
けれどもそれはとても迂遠な道のようにわたしは思います。

それよりもはるかに直接的でまっとうな迫り方があります。
それが「多読的シャドーイング」です。ほかにもたくさんの
実例やエピソードと一緒に、特別セミナー「多読的シャドーイングでその道をお見せします。そして実際に一人一人、多読的シャドーイングの道の歩き方を提案します。

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さて、この記事と一つ前の記事でディクテーションが無意味な
理由を二つ挙げました。

*音は落ちる
*音は変わる

この二つは実は根が一つです。
次回はそこを掘り下げることにします。