宿題全廃賛成半分訂正 情報収集のための英文多読について

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多読の道筋をざっくりまとめると、(すでに学校英語をやっているとして)

unlearn から learn へ

ということになります。

学校英語を洗い流す(unlearn)→ 新しいことばが体に染み込む(learn)

で、learn が軌道に乗ってくると、use になってきます。
獲得したものを使う段階ですね、ざっと言えば。

で、今回は宿題の話からなんと学術情報の収集へ、という大きな一歩の話題!
文字なしの絵本から始まった多読が、いよいよ論文を斜め読みという段階へ進んだ!!

(いきなり注釈です。
一つ。
実は unlearn と learn は並行して進みます。
けれどもいきなりそれを言い出すと「学校英語を洗い流す」という大きな主旨が
ぼけるので、unlearn → learn という大きな流れに注目してもらいます。

もう一つ。
最初に書いた learn は acquire と言う方がいいような気もするのですが、
その辺は話が複雑になるだけなので、「ざっくりまとめる」場合は話題に
しないことにします。)

前回のこの話題を提供してくれた「ある人」が元の記事の出典を調べてくれました。

友人が聞いてくれたのですが、twitterで流れて来た画像だったそうです。
で、調べたところ「週間事実報道」という新聞だったようですが、
まだあんまり読んでないのですが、引用するなら大元のクーパー教授の論文を使う方が安全な感じでした。
(そして日本語の記事とは趣旨が変わりそうな印象です、すみません!)

面倒な話ですが、学術情報や学術論文の読み方、書き方は ↑ こういうものです。
(わたしは自分では論文は書いていないのに、「門前の小僧習わぬ経を読む」で、
つい出典は明らかにしたがる--そこで、いつだれの発言かをはっきり書いてしまう。
そこで、みなさんに「個人情報を明らかにしてしまった」と文句を言われます。
このごろだいぶ治ってきたと思いますが。)

「大元のクーパー教授の論文」まで遡ったというところがよい!
ある人が遡った道筋は・・・

↓最初にツイートした人
https://mobile.twitter.com/mrkat0/status/902747201121771521

それを元に調べていった人のページ
http://www.netlorechase.net/entry/2017/09/03/143950

元の論文(画像)
https://pdfs.semanticscholar.org/479a/d93fad486fde6309637e7334fa91525024da.pdf

とてもざっくりですが、これは学術論文の追いかけ方そのものですね。
学術なんておおげさな物言いですが、わたしたたちが普段
「だれがそう言ってるの? その人信用できるの?」
とブレーキをかけるときと基本的に変わりません。

では「ある人」はクーパー教授の論文を読んだのだろうか?
結構な長さがあるし、もちろん全部は読んでないでしょう。
でも、「日本語の記事とは印象が変わりそうな印象です」と言っています。
なぜそんなことを言えるのか?

元の論文を見ると、大事な要点だけをページの真ん中に太字で
目立つようにしています。ここだけ読めば、まずは全体像がうっすらと
分かるのですね。それで、もし「おお、おもしろそうだ」とか、
「これは自分の興味につながるぞ」とか、「疑問に答えてくれそうだ」と
なったらくわしく時間をかけて読むことになります。

多読をしていない人はこうはならないのです。
それは電気通信大学の学生でも分かりました。
あるとき専門に進んで論文を読み始めた学生が
「多読のおかげでほかの人より論文読むのが速いです。
最初にざっと読んで、大事そうなところだけくわしく読むから」
というようなことを言っていました。
ほかの学生は論文の冒頭から大事そうな語を一つ一つ辞書で訳を探します。
そして訳を語の脇に書き込んでいく、一つ一つ、一つ一つ・・・

(今年の支援セミナーで話してくれた多読ガールズも
似たことを言ってました。大学に入ってやっと気がついた。
自分たちは特別なことをしていたんだと。
回りの新入生はみんな英文和訳しているので
長文の英語を読む課題にとても苦労している、と。)

今回引用したメールは、文字なし絵本の多読が学術論文の読み方につながって
いる、その道をまだ細いけれどもきれいに示している例というわけです。

「そんな大げさな! 普通の情報収集と同じじゃないか」と思いましたか?
そうです。その普通の情報収集が、学校英語の延長上にはない。
多読は要するに普通の読書なのですね、はなはじめから。

で、普通の読書の話から、やっと宿題全廃半分訂正の話へ・・・

でもこの教授が脳科学系の人だとすると、
脳は報酬で学習することを踏まえていると思うので、
学ぶとか何かを身につけるにはやっぱり、
楽しいとか喜びを感じる方が効率がいいんじゃないかなあと思います。

*この場合の報酬とはお金とかではなくて、
「面白い」とか「嬉しい」などの脳が心地良いと感じる感覚のことです。

脳の心地よさって言うのもそれぞれ「私の」脳だから、
やっぱり自分基準で面白いと思うものに取り組むのが一番効率が良いって……
いいですよね(笑)

読書はなんらかの意味で「面白い」から続けます。
ここですね、宿題全廃の訂正しない部分は。
楽しくもない宿題はいくらやっても面白くないし、嬉しいわけでもないので、
脳が受け付けない!? だから全員同じことをやらされる宿題は全廃!

訂正する部分はクーパー教授の論文の4ページ目の太字部分--
過重でなければ、中学高校の宿題はやった生徒の方がやらない生徒よりも
成績がよい、と。

わたしは小中高を区別せずに「全廃賛成」と言いましたが、
小学校では廃止した方がよさそうだけれど、中学高校の宿題には
よい影響がある、という論文主旨なわけです。
したがって「半分訂正」。

(ただし、影響や成績をどう測るかですよね。
もし「授業の内容をそのまま試験して、宿題をやってきた生徒の方が
よくできた」というような測り方だったら、わたしは大いに疑問を挟みます。
高校でも全廃は十分ありえる!)

さて、ある人はこんな風に付け加えています。

そこにブックトークとかで誰かの視点を知って、
面白さを感じて自分の枠がちょっと拡がったり、
自分はそんなに好きじゃないけど、
講座の人がこんなに好きなら感想の言い方は工夫しようかな、とか
または全然気を遣わず言い合ってもここならOK……
っていうのが講座の良さだなーと思います!

最後はNPO多言語多読の講座の宣伝のようになりました。
でも、講座だけでなく、共に歩む仲間がいると、
おもしろく、うれしく、たのしいのはまず間違いありません。

tadoku.orgのフォーラムやブログや催し物がみなさんの仲間作りの
手伝いになりますように・・・!

ある人、ありがとう!

追伸
多読・Tadokuはみなさんが作ります。
だからよくいろいろな人に引用させてくださいとお願いするのですが、
引用されたものを読んで「そこか!?」となることが多いようです。
わたしの頭や心のどこをどう刺激されたか、
それは「わたしの脳」であり、「わたしの心」なので、
ちょっとだけ申し訳ないけれど、ご了承をお願いします!

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