多読・Tadokuはトップダウン! Hさんからのメール

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

トップダウンに直接つながる部分だけを抜き出します。

「ことばは、世界を、秩序あるものとして、みるための、めがねみたいなものなんじゃないかと、感じている。」

元のメールはくわしくなぜこんな風に感じるかを書いてあります。
ことばがないと、世界を作っている(?)さまざまなもの、
つまりHさんにとっては、光や音や色の境界線が、微妙で、互いに入り交じって、
感じ取ったのは、光だったのか、音だったのか、あるいは、色だったのか、、、
さらには、温度だったのか、凸凹だったのか、圧力だったのか、なんだったのか、、、
振り返っても、よく、わからなくなっていることがあるそうで、
ことばはその世界を見やすくしてくれるめがねということのようです。

うらやましいですね・・・
わたしが見ている世界はいつも秩序だっているようです。
Hさんのような感じ方の目が見る「ばらばらな?世界」に憧れさえ感じますが、
ことばと世界の関係はそういうものなのかもしれませんね。

Yさんの言う「情景」を作っているのがHさんの「世界」で、
どちらもことばとは(多かれ少なかれ)独立しているのかな?

Hさん、貴重な感想をありがとう!

いよいよウンチクもウンチク、哲学の世界に入ってきたようですね。
哲学には大いに疑問を感じていますが、論理を道具とした遊びとしては
おもしろいです。(その意味では文法と哲学は似ている!?)
もっと意見交換をしましょう。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る