多読・Tadokuはトップダウン Yさんからのメッセージ

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YさんからFacebookでメッセージがありました。
これが「ことばと考えとどっちが先か?」問題への大きなてがかりになる?

きのうの肚裡さんのメールに対して届いたメッセージでした。

駅でなにか面白いことがあって誰かに話そうとしてるとき、
言葉なんてないはず。情景が心に浮かんでいて、
相手に伝わるよう情景を言葉に変換してると思います。
伝わらないときは別の言葉をさがすだけ。
違うタイプの人もいるのかなぁ?
情景なしで言葉で記憶?

前半については「わたしもそう思うな」と思っただけなのですが、
最後の一言! 「情景なしでことばで記憶?」で、わたしはびっくりしました。
「哲学的な」思考に慣れている人にはこういう(ひっくり返った)見方は
当然のことかもしれませんが、わたしはこんな風に、
「記憶はどうなっているんだろう? ことば? 情景?」
と言う風に考えてみたことがありませんでした。

肚裡さんが言い出したことは

「情景があって、それを人に伝えるときにことばが出てくる」
ということだったと思います。
で、Yさんに言われてみると、出来事を振り返るときにもことばは
関わっていないように思いますね。

そうするとわたしたちの頭の中では情景というのがことばと
関係なく存在して、それをだれかに伝えようというときに
ことばが必要になるのだろうか?
みなさん、どう思います?

わたしとしては非常にきょうみあるウンチク話です。
Yさんによると「とりとめなく考えた」ことだそうですが、
実に良い「とりとめなさ」ですね! Yさん、ありがとう!
これからもみなさんの意見や感想や疑問や注文を待っています。

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