遠く○○県から多読講座に参加してくださった H さんから報告がありました。
シャドーイングで大きな変化があった・・・
そしてそれはかなり大事な変化でもあるとわたしは思います。
4 月に参加させていただいたとき最初に借りた、‘HUGO CABRET ’ですが、まだマイブームが続いています。
どうしてもやめられないので続けてみています。
今は、チャプターごとにシャドーイング、口が慣れたら、聞き読みシャドーイングをし、それも慣れたら音読をやっています。音読がなれたら、BOOK TALK をパートごとにやってみたいと思っています。こうやって書いていると流れがお勉強しているようですが、どうしてもこの本から離れられないので、せずにいられずにやっています。
こんな本に出会うんですね。それで、シャドーイングをしていて、最近あれって気づくことがあったのです。
なんて表現したら良いのかわかりませんが、口に出している私のシャドーイングの音が繋がっている・・・あたりまえかもしれませんが、体感できている・・・
シャドーイングは、昔始めたころついていくことすらできず、慣れたころは、CATCHできた音を必死に声に出し、少し、聞こえるようになったなあと実感できるようになった時は、なんとなく意味が入ってくるようになっていた。
でも、それでも上(強い?)にきた音をシャドーイングしている感覚でした。最近は下(弱い)にいる音や繋がっている音もつながりで聞こえて、そのままつながりで口に出せているようなんです。
イントネーションをシャドーイングできてきたって感じです。こんな状態になって、最近手に入った、‘A STREET CAT NAMED BOB ’を音読をしたくなって、今やってみています。語数65000だそうですが、半分まできました。これも無性にやりたいだけなんです。
私の多読の道はどの辺にいるのでしょう。そして、どっちへ行くのでしょうか。
いいですね! 取り憑かれたように離れられない本に出会った!
どうぞそのまま続けてください、憑き物が落ちるまで!
そうなんです、憑き物の99%以上はいつか落ちます。でも、憑かれている間は
きっとこの上なくたくさんのことが体に染みこんでいると思われます。
それにまた、何かに取り憑かれる・・・ tadokuは結局読書だから、
わたしたちは何か、だれか、に取り憑かれるために本の旅をしているのでしょうね。
で、シャドーイングの変化ですが、一つ一つの語や音を追いかけなくなった--
これはシャドーイングのいちばん大事な点だろうとわたしは考えています。
H さんが最後の最後に書いていること、音がつながるようになって、
「イントネーションをシャドーイング」--これが非常に大事なようです。
一方「巷のシャドーイング」はまだ一つ一つの音を追いかけています。
一つ一つの音を積み重ねて語にして、一語一語を積み重ねて文にします。
多読的シャドーイングは「多読的」なあらゆる活動と同じく「トップダウン」です。
全体から個へと降りていくというのかな?
(そもそも一つ一つの音などない! というのが、最近わたしが強調している
bite-size という考え方です。でも、もう少しくわしい説明はいずれ・・・)
Hさんが体験した変化は「個から全体へ」をひっくり返した大事な節目だったと
わたしは思います。ちょうどNPOのブログで報告した「名作絵本のYouTube風」
という作業はこの「トップダウン」を目指しています。つまり、愛を感じられる絵本を
その愛を表現したくて朗読を真似する。するとイントネーションも、リズムも、
音も声の幅もそれらしくなってくる。
なんと トップダウンの極致、愛から始まって一つ一つの音に迫るという・・・
うーん、どう考えても神がかってますね。
でも愛ですからね、始まりは。これは多少神がかってもしょうがないのでは?
Hさん、ありがとう! また!!