なりきりシャドーイングの結果かどうかわからないのに、
ある人が We should talk. という短い決まり文句を音だけで
「聞き取った」のはなりきりシャドーイングの成果のように示唆する
記事を少し前に書きました。ここです。
https://tadoku.org/blog/sakai-note/2017/01/24/2922
で、こんな一瞬の「音のかたまり」をちゃんとある決まり文句と
結びつけた人が何人かいたわけですが、その一人から鋭い質問が・・・
Twitter のダイレクト・メッセージで送られてきた質問は、
先生の提案からすると、「We should talk」ってわからなくてもいいのかも。「※★※!」を「We should talk」と認識するには、どういうプロセスが介在するんだろう?
わたしの提案というのが何を指すのかわかっていませんが、
「※★※!」を「We should talk」と認識するには、
どういうプロセスが介在するんだろう?
この質問には、いま考えている範囲で、答えておきたいと思います。
* わたしたちがまだ英語の音に十分触れていない段階では、
さきほどの音のかたまりを聞いて、We should talk. だとは
わからないし、わからなくていいのだと思われます。
* でもたくさん映画やドラマを観ていると、そのうち We should walk.
という音のかたまりに出会います。おー、「ウシ」のところが同じだ!
一方、ちがうところで、I should talk. という音のかたまりを耳にする
かもしれません。今度は should talk が一緒だ! 「シタ」
* そうした「認識」はいちいち意識されないと思われますが、
いずれ音の形全体はこうして we と should とtalk の三つに分かれていく・・・
* まだこの段階でも we や should や talk それぞれのの語の役割は
得心できていないかもしれません。けれどもさらにたくさんの we や
should や talk に出会ううちにそれぞれをどういう場面で使うのか、
納得できることでしょう。
わたしがさきほどのメッセージを送ってくれた人やそのほかの人に
感心したのはその人たちはこの最後の段階まで達するくらいに
英語の世界と物語と場面と気持ちと考えと音に触れていたと思われるからです。
これはまあ、わたしの持論(ことばの氷山、bitesizeなど)に引き寄せた
考え方です。ほかにも考え方はあるでしょうし、そもそもことばと人間を
巡る現象そのものがほかにもいっぱいあるでしょう。
ことばの氷山や bitesize という見方はことばの新しい面を次々と
見せてくれるかもしれません。いや、たくさん見せてくれなかったら
わたしの持論はたいしたことない、ということになります。
みなさん、「ことば」を意識することがあったら、
なんでも知らせてください! 楽しみにしています。
月さん、ありがとう!
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