多読的シャドーイングは最初からなりきりシャドーイングを!という
勇ましい呼びかけ を前々回の記事でしたと思ったら、
さっそくある人からシャドーイングってもともとなりきりなんじゃないの?
という鋭い突込み・・・
参りました。その通りです。一言もない。
でも、普通は(?)わたしが今までそうだったように、
一語一語を正しく繰り返そうとして、なりきりからはほど遠い
繰り返しになっていることが多いように思うのです。
そこで、そういう人のためになりきりシャドーイングのもう一つのエピソード・・・
次の録音を聞いてください。
最初からなりきりシャドーイングだった人がいるのです。
で、この人はこの短いセリフ(海外ドラマ)がなんと言ってるのか、
すぐにわかったのですね。
それをなりきりシャドーイングをやっていたから、というのは、
少々こじつけかな? 根拠薄弱で少々恥ずかしいのですが、
上の一言は各務原市でシャドーイング講演会+ワークショップのときに
みなさんにきいてもらったのですが、まずわかる人はいないはずだったので、
わたしはびっくりしたのでした。
それでなりきりシャドーイングと結びつけたくなったと・・・
いや、やっぱり少々強引でした。これからもっと例を探します。
すごすご・・・
追伸
上の一言がなんと言っているかは、29日のシャドーイング講演会+
ワークショップのあとで知らせます。ちょっと待ってくださいね。
追追伸
最初からなりきりだった人はSkypeでわたしにシャドーイングを
聞かせてくれていたのです。いずれいつか日本中どこからでもNPO講座で
得た知恵をSkypeでみなさんにお分けできるようにしたいと考えています。
もうちょっと待っててください!