ここで一気に、多読・Tadokuを通してわたしがひそかに目指してきた
ことを書いてしまいます。
きっかけはNPO多言語多読会員でもある石田さんがシェアして
くださった・・・
ここで一気に、多読・Tadokuを通してわたしがひそかに目指してきた
ことを書いてしまいます。
きっかけはNPO多言語多読会員でもある石田さんがシェアして
くださった・・・
朝ご飯のときに新聞を見て、ざっと英語の試験の語数を計算しました。
リスニングの問題はのぞいて、約4000語を読まなければならないようです。
これを多読の目安速度* 分速100語で読むと、40分かかります。
これなら残り40分あれば多すぎるくらいですね。
「試験は勘で解く」を実行したら1時間で終わります。
では多読していない生徒の場合は?
こういうやり方は少々ずるいなと、気がつきました。
モーリンさんにせよ、この「ある人」にせよ、わたしは自分の言いたいことを
代弁してくれるメールやメッセージを引用して、北風を吹かせている。
でもね、こういう形だとわたしの毒はたしかに薄くなるし、
第一、わたし一人の感じ方や考え方ではないことになるので、
毒を受け入れやすくなるかもしれない。
そういうわけで、みなさん、この際、みなさんが学校の先生に対して
持っている気持ちをわたしに知らせてくれませんか?
多読もNPOもTadokuもみなさんが育てたのだから、
わたしの毒を育てたのもみなさん・・・!
支援者支援の問題は語ること自体が問題で、苦心しています。
今のところうまい書き方が見つからず、わたしが大事だと考えていることを
書けずにいます。
前回までの記事にモーリンさんが意見を送ってくれました・・・
これまでのやり方から変える気のない先生たちについてはすでに書きました。
https://tadoku.org/blog/sakai-note/2017/12/30/4178
実はもう1年以上前からもう一つ別の問題が出てきました。
すでに多読を推進している先生たちをどう支援するか、という問題です。