まずCさんの写真から・・・
聞き読み
「図書館多読への招待」が発売になりました!
Facebookでもこのブログでも何度もお知らせしていますが、
ここではこの本を出版する意義についてもう一度・・・
「モーリン」さんからメール!
このブログのいくつかの記事に感想を寄せてくれました。
モーリンさん、いつもありがとう。これからもなんでも意見/感想/疑問/注文
なんでも聞かせてください!
字幕なし多観について katobushiさんのツイートから
まず、katobushiさんのツイートを引用・・・
僕が字幕なし多観をはじめたころのORTのような動画から、というコンセプトはよくなかったと反省しています!字幕なし多観のいいところは、レベルの概念を捨てやすいところだと思います!
字幕なし多観の効果は聞き読みよりもっと強力だとおもいます!プラス、字のない絵本から始めるみたいに1%も聞き取れないものからはじめることをお勧めしたいです!
レベルの概念を捨てる・・・大事件ですね。
これまでの多読はレベルの概念は大事だということで始まり、進んできました。
レベルの概念を使って入り口を入りやすくする--これはうまい作戦だったと思いますが、
場合によってはうまく行き過ぎていつまでもレベルから抜け出せないことがあります。
また学校などでは試験や成績や点数、数字に反映しやすいので、
そもそも抜け出す気がないのが普通・・・
わたし自身がレベルという考え方から抜け出すのにずいぶん時間がかかりました。
最初から警戒していたのに時間がかかったのだから、レベルや進度や理解度といった
考え方のしつこさは身をもって体験しています。
ではレベルの概念を捨てて、代わりにわたしたちの歩みを確認するには何がいいのか?
わたしは年齢だろうと思います。「をさなごのやうに」始めて、少しずつ世界と物語を
理解していく・・・
その場合、katobushiさんの言う「1%も聞き取れないものからはじめる」ことは、
赤ちゃんが自分の周囲の言葉や状況をほとんど理解できないところから成長していくことを
真似することになるでしょう。
つまり、最初は 見る・聞く・泣く(もごもご?) から始まって、一語文で話すへ、それから
読む・書くへ というところでしょうか? もちろん大人が同じような過程を経るのかどうか、
それはみなさんの報告で少しずつ明らかになっていくことでしょう。
(ついでに言うと、その過程に学校英語がどう関わるのかも、明らかになっていくでしょう。)
字幕なし多観についてツイート
ある人がツイートしていました。
とても簡潔に字幕なしへの道、そして楽しみを伝えてくれます。
そこで紹介・・・
多読始めたばっかりの頃は一生懸命文字を追いかけて挿絵はほとんど見てなかったんだけど、絵本をたくさん読むようになったら逆に文字なんかどうでもいいや~てなってきた それはそれで問題あるのかもしれないけど、そのおかげでか字幕なしで映画みるのも特に苦にならない 絵でわかるわかる~てなる
これ以上は短くならないことばで自分の多読からtadokuへの進化を
語っているのですが、実はそのままわたしが言い出した多読から、
みなさんが道を開いた tadoku への進化を言い表していると思います。
Hさんと同じように、多読も挿絵だけのGRから始まって、
聞き読みや絵本へ、そして字幕なし多観へと進化してきました。
その過程は文字だけでなく、音も絵(場面)も同じくらい大事だという
分かってきた道程です。
そしてわたしが言い出したのは多読(とシャドーイング)だけだったと
言えます。聞き読みも、絵本も多読も多読仲間が発掘したのです。
別に試験受けるわけでもなんでもないし当分これでいいかな~何より楽しい
「何より楽しい」のだから問題はないでしょうね。
楽しんでいるうちに描写の細かいところや、感情の機微や、
情景のスケールまで楽しめるようになります。わたしは
「そのまま Enjoy English!」
と返信したのでした。Hさん、引用を許してくださって、ありがとう!
みなさんも、まずは「楽しむ」ところから出発を!