souvenir や remember や stopping など、いろいろわたしたちの頭の中の一対一対応を
ほぐそうという企てに、モーリンさんが体験を語ってくれました。そっくり引用します・・・
酒井先生、こんばんは。モーリンです。
最新のブログ記事で書かれている「自然な英語での学習」について、以前からお話ししようかと思っていた経験があるので報告します。
僕が仕事でアイルランドにしばらくいたことはご存知だと思います。2004~2005なのでもう10年前になります(多読を初めて1年ぐらいです)。そのときは、6人の日本人と別の台湾人のグループでダブリンの郊外にあるアパートで共同生活をしながら会社に通ってました。土日は休みで、ほとんど毎週末はバスで約1時間かかるダブリンに出かけてました。バス停はアパートのすぐ前にあったのですがアイルランド人のいい加減さでバス停の名前もなく次の次の終点の時刻表も同じでした。
ダブリンの市バスは乗るときに料金を払うのですが、ダブリンのダウンタウンに出かけて帰るときに自分のバス停の名前がわからないので終点のバス停の名前を言ったのですがなかなか通じず焦れた運転が All the way? と聞いたのです。なんとなく「終点まで?」という感じがしたので Yes と答えて言われた金額を払いました。
アパートに帰ってからその話をほかの翻訳者に話したところそれは「はるばるそんな遠くまで行くのか」という意味だと言われたのです。その人はベテランの翻訳者で TOEIC で Lisning 満点 Total 940 点の人でした(ちなみに僕は600点ぐらいでした)。でも、運転手がふざけてる感じもなかったので僕は納得できず、シチュエーションからやはり「終点まで?」ではないかと 3 時間ぐらい議論しました。僕は All the way が「はるばると」という意味が辞典に載っていることを知らなかったので「終点まで?」と考え、後で考えても「最後まで」という感じなので、例えばエレベータで一番下まで行くときに All the way down と言うんじゃないかと言って、LONGMAN の英英辞典で調べたら All the way down が載っていたのですがそれでもその人は譲りませんでした。
よく考えれば All the way そのものは「全部の道のり」のことを言っているので「最後まで行く」ということで間違いないと思いますし、その後の多読からも間違ってないと思います。
私が理解の方が正しければ、日本では英語の達人でも「学習英語」に毒されていて、なかなか自然に学ぶことは難しくなっているということでしょうか。
どうもそういうことだという気がします。「自然に学ぶ」ことは本当にむずかしい。
わたし自身も骨の髄まで「毒されている」と思っています。
いちいち挙げたらきりがありませんが、ほぼ全身に毒が回って思うように体が動かないという状況です。
あんな風に何もかも一対一対応できっちり学習しなければ、もっと自由になれたのに・・・
(もっとも、蘊蓄の愉しみは毒にまみれてこそ、という面もある)
また自然な英語学習という点では、昔バージニアにいたときに向こうの人と夕方に話していて暗くなってきたので “becoming dark” と言ったら “Yes, getting dark.” とそれとなく答えてくれて「なるほど、そういうのか」と “getting ~” と言い方を覚えました。
Native speaker といればこのように自然と英語を学習することが可能と思いますが、日本にいてはなかなか環境が揃わないですね。
また、長くなりましたが久しぶりなので許してください。
P.S. souvenior については今の英米人が語源まで意識するか疑問なので、今週末の江坂の洋書屋さんでのブッククラブで先生に聞いてみます。結果はまた報告します。
では。
モーリン
またメールをください。ありがとう!