YL・語数・仲間 モーリンさんからのメール

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表題の通りです。なんということか、肩が痛いのを助けてくれるかのように、
いろいろな人からさまざまな意見が届きます。

(ありがたいことです・・・)

今回はSSSの掲示板以来の仲間モーリンさん。フォーラムにも登場してくれたし、
実は Twitter ではときどき交流があります・・・

酒井先生、こんにちは。モーリンです。

Twitter ではたまにお会いしますが、多読の方ではしばらくです。
先生のブログもしばらく覗いてなかったら、新しい話題が登場していて
何のことやらついて行けなくなってました(たとえば、「多読」と「tadoku」の
違いを知らないなど)。

新しい話題はいつも登場しています。それが最初から多読のすごいところです。
14年経ってもまだ尽きない!

そこで 多読 は Tadoku に進化したというわけです。
少しずつついてきてください!

でも、部分的に読んで感じたことと、別件で発見があったことを報告します。

まず「tadoku三原則」の「仲間」について。
僕は、仲間はいた方がいいと思います。僕らのころは、先生も書いているようにSSS掲示板
でした。僕は、1日1時間の読書時間に対して1日3時間ぐらい掲示板の書き込みに費やして
いました。やはり、同じことをやっている人達が実際にいて会話ができるというのは、
それまで受けた英語関連の通信講座とはまったく異なるところで励みになりました。それでいて、
英会話学校などと違って自分のペースで続けられます(休憩も含めて)。また、この「仲間」は
緩くていいと思います。SSS掲示板も「緩い仲間」で「いいところは褒める、悪いところはけなさない」が
原則でした。だからこそ「100万語達成しました」と喜びを素直に報告でき、みんなに「おめでとう」と
褒めてもらうことで Happy になって、やる気がでるのですから。

わたしもSSSの掲示板はモーリンさんの言う通りに記憶しています。すばらしかった・・・!

で、いま Tadoku三原則(仮) という話題で、緩くてしかも励みになる新しいサークル作りを
めざしています。さかい@多言語多読のめざすところはなかなかついて行けないかもしれませんが、
いずれ、ああ、そういうことを考えているんだね、とみなさんに分かってもらえるはず。
もうしばらく辛抱してください。

「語数とYL」については、「SSS多読」に関してはあってよかったです。とりあえず「100万語」と
いうのは目安になりましたし、YL も本を選ぶ時の基準になりました。それに、なんといっても
SSS掲示板での会話での基準にもなってたような気がします。ただ、いつまでも語数を数え続けるか
どうかは個人の選択だと思います。僕の場合は、400万語あたりで記録も含めていつのまにか止めて
しまいました。それは、読むものが本だけでなく雑誌や新聞、インターネットの記事と広がり、語数を
数えることが意味がなくなってしまった(時間の無駄でもある)ためです。そのため、読んでる本の
冊数は少なくなってしまいましたが、読みたいものを読むモードに変化したのだと思います。また、
読むことだけでなく、聞くことにも興味が出ていろいろチャレンジするようになりました。

はい、わたしも三原則多読のころには「あってよかった」と考えています。
数字はみなさんに「わかりやすい」目安になりましたね。
100万語というのも、意外性があり、しかも達成できることはもっと意外で、
みなさんが盛り上がる大きな契機になったと思います。

ところが、数字は一人歩きを始める傾向があるようです。
おおざっぱな 目安 として100万語という数字を挙げたのですが、
数字そのものに囚われて、楽しむことを忘れる場合が頻発するようになりました。

いえいえ、スローガンとかモットーとか目安なんていうものは
めざす方向を大きく表現するので、単純な物言いになります。
そうなればどうしたって一人歩きを始めるものだと思われます。

・・・ ということをしっかり意識して、数字の一人歩きを覚悟して、警戒していれば、
多少とも 数字 の弊害は避けやすいと思いますが、数字を考え出した人たちが
(自分で作ったことを忘れて、天から下ってきたお墨付きのように)崇めはじめた・・・
そこが大きな問題ですね。それでいわば警鐘を鳴らす必要を感じたわけです。

数字の一人歩きだけでなく、たとえば YL  という数字は語数とともに、
多読する人の一人歩きも促進した--それがktbさんの鋭い指摘でした。

同じことを何度も書いていますが、数字や試験や資格の支配には徹底的に
抵抗しなきゃいけません。自分のことは自分で決めましょう。
だれかが作った100万語や読みやすさレベルなんてものに振り回されていたら
結局自分の足で歩くようにはならない・・・

最後に、先生のブログの内容とは関係ないのですが最近気付いたことの報告です。
以前にも報告しましたが、 リスニングはまだすんなりと頭に入ってこない、つまり
意味がわかっても日本語のようにそのフィーリングがすっと入ってこないのです。
その解決策は、結局量を聞いて(映像を含め)、その言語に対するは「反射神経」を鍛えるしかない
という結論になってました。たまたま、同じようなことを言っている映像を発見したので報告します。
Coursera の “What Is Music?”(https://www.coursera.org/learn/introclassicalmusic/home/week/1)
というコースの 1.7 で自分の国の音楽(ここでは Western music)が欧米人になぜ心地よく聞こえるか
という話のなかで、言語の例を持ち出し “In English, we expect things to happen in a particular order.”
と説明しています。この “a paticular order” は生まれた時から徐々に脳内に構築された “template” だと
いうことです(”syntax” とも表現してます)。つまり、言語でも、次に何が来そうかとある程度予測しながら
聞いていて、だからこそすんなりと頭にも入るということなのでしょう(音楽だと心地良い)。これは、
僕が考えている「反射神経」と同じもののような気がしました。
量を聞くしかないという結論は変わらないもののなんとなく納得した次第です。

なお、この “What Is Music?” のコースはわかりやすい英語で説明しているので Classic に興味のある方には
お勧めです。

また、長い報告になってしましました。

すばらしいです! その通りです!!
Coursera のかなり抽象的な理屈を見事に紹介してくれましたね。
(多読が抽象的な文章、たとえば学術的な文章を読むことにつながることを証明してくれたのではないかな?)

つい数日前に、フォーラムのオンライン大学 トピックを読んでオンライン大学を始めた人はきっと
たくさんいるよ、と話したばかりでした。みなさんもモーリンさんにならっておもしろいコースを
紹介してくれませんか? フォーラムでもいいし、わたしの連絡先に便りをくださってもうれしい!

連絡先・・・
Twitter: @kunisakai
Facebook: 酒井邦秀
メール: tadokuorgあっとまあくgmail.com (さかいとNPO多言語多読事務局両方宛て。)
sakaikunihideアトマアクgmail.com (さかい個人宛て)
LINE: さかい@多言語多読 (まだ使い方が分かってません!)

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