Books will come to you in good time. 続くときは続くもんだ・・・

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

トートバッグを買って応援してください!

の記事で書きたかったことを一言で言うと、
多読は本ではじまって、本が最後の目的地のようだった、
でも、いまでは本に囚われる必要はない、絵や音や映像ではじまって、
そのまま本に到達しなくてもいい、到達する必要があれば到達するだろう、
ゆっくり待ちましょう。

ということでした。(一言ではないですね。いつか本当に一言で
言えるようにならないといけない。)

そんな風に話題に上るとあちこちから同じような例が出てくる--
そういうことが今までにも何度もあって、今回もありました。
Twitter から引用します・・・

最初に引用する人は「待つことのできる先生」で・・・

本読むのを好きではない子、本読むのに疲れた子→漫画にはまる→漫画も疲れてくる→ドラマにはまる→ドラマだけひたすら楽しむ。ダメなら日本語字幕でもOKで楽しませる→やっぱりリスニング異様に上がる→なんかいけいけになる。→でも、なぜだか音だけじゃだめで、本を読むのも必要な気がしてきた! ”先生、本を読みたいです。本を貸してください。” ←3年かかって振出しに戻った高校生^^。受験しない子で、のんびりしていられたのが幸いだったかも~~😄😄😄楽しみ~~

3年間、無理に本を読ませようとしなかったから、本に戻ってきたのですね、きっと。

もちろん、mangaや音から入っても、だれでも3年待てば本が読めるようになりますよ--
なんていうことはないんですからね!最長何年待つことになるのか、それはまだ
だれも知りません。でも気にすることはない、待てばいいのです!

上のツイート見た別の支援者から返信がありました・・・

あー、いいね。ドラマやマンガばかりだと「本を読んでない自分はだめだ」と思う人多いので、こういうお話は励みになります。

それに対して最初のツイートの主・・・

”自分はだめだ”じゃなくて、”耳がよくなってきたんだから、漫画だってこんな分厚い本何冊も読んでるんだから、今度はなんか本も読める気がする??”と、わくわくしていただきたいですね^

今まで日本では(他のところでも?)文字ばかりが尊重されてきました。
多読する人たちの様子を見ていると、それはちがうと考えるようになりました。
わたしがよく言う「ことばは白い紙に印刷した黒い活字ではない」は、
これまでの「文字の圧倒的優位」を崩したいと思って、強調しています。

本は読めてもいいけれど、読めなくてもいい、
少なくとも母語で読んでいる以上に読むことはない--これをこれからは
訴えていこうと思います。

実はこの話題ではもう一つ知らせたいことがあります。
It never rains but it pours. という諺通りですね。

あしたをお楽しみに!

おっと、Tsさん、Sさん、引用許可をありがとう!

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る