きのうの記事を読んだ木曜講座の仲間からすぐに反応がありました。
それはまったくまっとうな意見なので、早速記録に留めることにします。
意見は三つありました。
*一つはもっとも大事な・・・「感動する速さは変えられるのか?」 という点。
こう表現されると、変えることは不可能なような気がしました。
*そこへ救いの手がさしのべられました。
わたしの読むのが遅いのは CPU(頭の回転)ではなくて、
入力装置(キーボード?)のせいではないか? というのです。
おお、それなら速くすることは可能かもしれない!
*そこで考えてみると、わたしのCPUは捨てた物ではないかもしれない、
という現象を思い出しました。つまり、朗読を聞きながら読む「聞き読み」が
わたしはできないのですね。そしてそのときは奇妙なことに、
文字を読むときには1分間に120語からせいぜい150語なのに(しかも物語に
入り込むと遅くなる!)、聞き読みだと180語の朗読でも、文字を追いかける
目が朗読より先を行ってしまって、とても読んではいられないのです。
それからもう一つ奇妙なこと--たいていの朗読は1.5倍速で楽しめます。
(不思議なことに Capital in the 21st Century は2倍速でも楽しめた。
物語は2倍速ではどうもだめです。1.5倍速でないと楽しめない!?)
じゃあ、読む速さだって200語を軽く越えていいはず・・・?!
よくわかりませんね。どういうことなんだろう?
でも、とにかく今は一語一語を拾うのではなく、「意味の塊」つまり bitesize 単位で
掬うことをやってみます。50年以上前からのわたしの課題なので、これからも
実験して、報告します。
みなさんの意見を歓迎します。連絡先は・・・