「劇薬はこんなにおいしいです。」 --劇薬シャドーイングにファンが現れた!

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えらいことです。どう考えたらいいのか、まだ分からず、オタオタしております。

劇薬シャドーイングを「おいしい」というなんて・・・

でも、これは人間の可能性に新しい地平を開くかもしれません!わたしはしばらくは「日本人総❍川化計画」に突っ走ろうと考えています。
シャドーイングはおおむねどなたにも評判が悪くて、
わたしはみなさんに喜んで受け入れてもらうことはなかばあきらめております。
劇薬シャドーイングとなると、命名が悪かったこともあって、
滅多に手がける(口をはさむ? 口を利く? 口入れする? 口をかける?)人さえいません。
でも、あきらめません。こんな強力な援護があるんですから・・・

劇薬はこんなにおいしいです。

私は毎日劇薬をおいしく頂いています。大好物です。
私が劇薬を楽しいと思うのは一言で言えばわからな過ぎて楽しいという感じです。
全くわからないというか、わからない以外の何物でもなくて、音を楽しむ、音の不思議と楽しむという感じです。

ここなんです! 「わからな過ぎて楽しいという感じ」--これはいままで
だれからも聞いたことがありません。うー・・・わたしにはこの感じ、わからない・・・!!!

酒井先生が講座で英語は日本語と同じ音は一音もない、と言われました。
私はそんな事はないだろう、「Today」は「トゥデイ」だと思っていました。
アイウエオの50音に当てはまる音もるだろう、と思っていました。
でも今回劇薬をやってみて酒井先生の意味がわかりました。他語は他語の音なのだと思うようになりました。
英語の音が50音で言える、というのは今まで学びで作られた悪しき固定観念だと私は思いました。英単語の上にカタカナでルビをふってましたから。

劇薬シャドーイングについては説明が必要ですね。でもちょっと待ってください。
このブログのどこかに書いているはずなので、おいおいリンクを貼ります。
一言で言えば、シンハラ語とか、アゼルバイジャン語とか、ヒンディー語などという、
ひとっことも、なんにもわからないことばをシャドーイングすることです。
頭は一切使えないので、耳と口を直結することができます。

劇薬、この未知のアジアの言語を聞いていると全く音が取れないんです。
何度聞こうとスローテンポで聞いてみようと考えてもどうにも音が取れないんです。
50音をどう当てはめたらこの音になるのか全くわからないんです。

劇薬シャドーイングをしている時は跳ねて聞こえてくる音を真似ているのですが、果たして真似られているのかわかりません。たまに片方のイヤホンを外して聞こえてくる音と、自分の音を比べますが全く違います。

音として捕えるというのは実は難しい事なのだと判りました。
私は性格のせいか劇薬を最初から楽しめた方です。あまり抵抗はありませんでした。でも当初の5回くらいはちょっとしんどかったです。でもそれを超えると未知の音のシャワーが気持ち良いのです。
英語の音は正直言いまして鮮度に欠けます。でも劇薬は違います、
劇薬あっての英語シャドーイングの楽しみを感じます。

↑ このあたり、まったくわたしが劇薬シャドーイングに託した願いを実現しているのですが、
まさか、「楽しい、気持ちよい」とまで感じる人がいるとは夢にも思わなかった・・・

「英語の音は・・・鮮度に欠ける」--これも、うーん・・・、劇薬を考えたわたしの予想を
超えています。(劇薬の話題は今後❍川さんにまかせてしまおうか?)

文字で学んでない音なので頭に文字が浮かばず、飛び込んで来る音を追いかける遊びなんです。意味もわからないし、文字も浮かばないし。

もちろんアジアの言葉は文字を見ただけで頭が痛くなるような理解不能な言語です。うっかり学ぼうとしなくて良かった、と思います。

何度聞いても全くわからない未知の楽しみがあります。
何が正解か自分も音漏れで聞いている周りの人もきっと全くわからないと思うので音を追いかけて楽しめている気がします。声も出して壮快です。

「わからないことを避けてはいけないようだ」とは言ってきました。
わかろうとしてはいけない、理解しようとしてはいけないと、ね。
でも、「わからないことを楽しんでください」とは、言わなかったし、言えなかった。
わたし自身「わからないこと」を楽しんだことはなかったので・・・

でもフランス語の劇薬は楽しめませんでした。というのは私は少しフランス語を学んだ事があるので、周りに誰がいなくても正しくフランス語を発音したくなり、また意味を取ろうとしてしまいます。多少は古い知識が呼び起され判ります。フランス語だとおバカな叫びがあげれないんですね。

これも、リーマン予想に並ぶサカイ予想の通りなのですが・・・

でもまた未知の言語に戻ると快感です。どう考えようと全く分からないのですから自由です。
劇薬をやるまで、私は音を楽しむって事は全くした事が無かったと思います。こと英語に関しては聴き取ろう、聴き取ろうとし、聴き取れなさにがっかりしたものです。でも劇薬をやった今は聴き取れさがつまらない、というのか。

・・・わかるからつまらないまで行く人がいたとは!?

子どもは周りから聞くことばを耳で聞きながら音をストックして話せるようになるのだと思います。
そのために英語を身につける際は子ども用の会話を学びそして次にセンテンスを学び、という進捗する方法があると思います。
でもそれは既に英語を何年も学んできた私にはちょっと違うと感じました。
本当の未知を体験するにはやっぱり全く知らない言語、学んだ事の無い言語を体験することではないかと思います。
これを体験出来るのが劇薬効果のひとつで無いかと思います。

いや、そうじゃないかということで劇薬シャドーイングを思いついて提案したわけで、
けれどもわたしは「あたまのすすぎ洗い」というような無味乾燥な表現しかできなかった。
❍川さんは、わたしの予想をはるかに超える 命 を劇薬シャドーイングに与えてくださった・・・

当たり前ですが世の中はこんなに未知の言語の溢れていて、この全く違った言語に文化、価値観があると思うと感激です。
またこの意味不明な未知の言語を会得することは不可能だと強く認識した次第です。双方の懸け橋になる英語はすごい、とこれまた感心したりします。

『どうして英語が使えない?』で、わたしは世界の5000を超えるという言語を、
それぞれ「認識の正倉院」に喩えました。❍川さんが感激したことも、わたしの感じている驚異と
同じ物だという気がします。

当初シャドーウィングをするのは判るために、聴きき取るためにするのだと思っていました。理解するために聞く、のだと。なので聴いてもわからないモノは聴かない、自分の無能を感じ聴きたくない、聴いても意味が無い!、と。
で、理解しようとするから聞いても判らないものは聴きたくない。でも最近はそのままそっくり入ってくる音の遊びなのではないかと思い出しました。
英語を身に着けたいと思うと、どうしても学ぶ、判る、理解する、暗記するという部分がありました。今回劇薬に出会った事よって、その因習的固定観念から解き放たれる気がします。暗記する作業から解き離れました。

まったくもう・・・ 「音の遊び」・・・ まったくもう・・・

それにしても劇薬によって、「わかる・理解する」から解放されたのだとすると、
いわゆる望外の喜びです。わたしは人間が「わかる・わからない・理解する・理解しない」なんていうことは
実にちっぽけなことだと感じています。あたまを超えてこころで感じることの方がどれだけ大きく、深く、
豊かなことか! (まったく毎日わたしたちは奇跡に遭っているのです)

私は今劇薬→高速→聞き取れるレヴェルのシャドーウィングを順番にやっています。高速は「ハリーポッター」や「チャリ―とチョコレート工場」などの早いCDをやっています。早いのですが少しは聞き取れるところがあります。「Today」やら「」・・

聞き取れる一方で丸ごとを入って来るのを楽しみたい、音としての英語を楽しみを味わいたいという思う私は、聞き取れる部分があるとつまらなくなり劇薬に戻ります。

今毎日シャドーウィングを楽しめているのは劇薬があるからだと思います。
高速であれ英語を聞くとどうしても意味を取れてしまう部分があり、また文字が浮かびます。そしてカタカナが浮かびます。
でも劇薬は違います。どこをどうしたらこんな音が出るのか、こんなトーンの話し方があるのか、ホント不思議です。

先日酒井先生に、劇薬、高速、ナチュラルというシャドーウィングを一週間くらいの間を開けて頂く機会がありました。進歩しているというお言葉を頂きました。私もそう思います。「あれ、こんなに聴き取れたかな」と思う時があるからです。(笑い)
シャドーウィングを続けられるのは私の場合は間違いなく劇薬を楽しめているからだと思います。
英語シャドーウィングをしてちょっとだけ聞き取れるのですが何故か続けていると勉強になってしまう感じがしてつまらなくなります。そう感じたら短くても劇薬の戻るんです。そしてあの跳ねるような激しい会話の音を聞いているとまた楽しくなるのです。

❍川さんに上の3種類のシャドーイングをしてもらって、録音しました。時間があればできるだけ早い
機会にこのブログで紹介します。(実は進歩が早すぎた! 詳細は紹介の時に・・・)

他にどんな言語があるのだろうとBBCのラジオでアジアの言語などを聞いてみました。全部ニュースです。でもニュースはつまらないんです。聞き取れないレヴェルは同じなのですが、多少のイントネーションはあっても木魚を叩いているような音にしか聞こえて来ないです。「ポクポクポクポク」というか。

やっぱり会話の方が何度でも聞けますし楽しいです。劇薬の中にはアニメの会話もあり、子どもの早口、横入りする話し声、抑揚の激しい声、これらが私には生きている声と感じられて楽しいです。

驚きます! ↑ この部分もわたしが最近感じていることなのです。
(いわばTadku的シャドーイング最前線! この数ヶ月の発見です。)
つまり、CNNやTEDといったノンフィクションのシャドーイングや、
GRのシャドーイングは変化を起こしにくいのではないか?

つまり、つまり・・・
比較的平坦な音声のシャドーイングよりも劇的な、メリハリの利いた、感情の揺れの大きな音声素材を
シャドーイングした方が、早く変化が顕れるのではないか?
(❍川さんの変化はおどろくべきものなのです。それは録音と一緒に説明します。)

私は耳が良い方では全くありません。その自覚があり、今でも発する音はホントカタカナです。洋楽を聞く趣味は無く、一人過ごす部屋の背景に音楽を流す趣味もありません。

私が多読としてかなり本が読めるかというとそれもまた違います。現在初めて1年4っカ月。780冊。60万語くらいです。
CDとセットで聞き読みでしたら「マチルダ」も読めました。登場人物がわかり5行くらいのあらすじが書けます。でもその一方赤のレヴェルでも意味が取れない本があります。
でもそれはそれで気になりません。
私は辞書は全く引きません。辞書は持っていません。処分してしまいました。
わからない単語は気になりません。「マチルダ」は一ページにたくさんの知らない、単語がありました。忘れてしまったというより、たぶん知らない単語です。
でも話の流れはわかります。
多読の学び方で正確にわからなくていい、学ばなくて良い、というのが私は気に入っています。でもその事を理解するにはある程度時間がかかりました。

↑ ここもすごいでしょう? なんという自由な? 解放された? わがまま勝手な? 自分が主人公の、
取り組み方なんでしょう!

でも、❍川さんの変化でいちばん注目していることは、最後の1行です。
❍川さんは、❍川さんが出ている講座を手伝っている人から、かなり「いい加減ではない」
取り組み方をしている人だと聞いていました。

私の生半可理解は実証済みです。
自分で読んだ本を他の人に勧めたりします。その人が翌週行うブックトークの話を聞くと「そんな深い内容だったんだ」と驚く事しきりです。でも良い本だった事はわかってたんです。
また「マチルダ」「スリープオーバー」などを読む際にはクラスの先輩があらすじを語りながら勧めてくれています。この助言に本当に助けられています。

そこからいったいどうして、生半可な」自由な取り組み方に変化したのでしょう?
そこをわたしはくわしく聞きたいと思っています。
❍川さん、ぜひ聞かせてください!

私はシャドーウィングを歩きながら、電車の車中で、ホームの片隅で発露しているのが好きです。自室に一人でいる事も多く、自室でも出来るのですが、自分の下手な声の反響を聞かなくてはならないのが嫌なのです。(笑い)
歩きながら声を張り上げたり、マスクの陰でもごもごしたり楽しいです。
人に振り向かれて声が大きい事に気がつきます。

自分の声を録音して聞いてみました。ホントもごもごでこれまた聞いて馬鹿らしく楽しいです。そしてホントカタカナで。

多読を始めて十か月くらいたったころライフワークとしての楽しみになるな、と思いました。発見出来て幸いでした。運が良いな~、と思いました。
更に今回劇薬を知り、楽しみながら音を身に着けられるかも、と知り、これまたうれしいです。

劇薬、そして英語のシャドーウィングをやっているとどんな音も怖くないという気持ちになります。

この最後の感想も驚きです。
でもそういえば、Kianさんが「多読をやっていたからオランダ移住も怖くないと思った」と言っていました。
でも、いくらなんでも????

今まで見につけたいと思いながら本を読もうとした事はありませんでした。聞き取りたい、ヒヤリング、リスニングに強くなりたい、と思いながらシャドーウィングを継続してやった事はありませんでした。英語を身に着けたい、という意味も分かって無かったのだと思います。
NPOに通って一挙解決です。本当にありがとうございます。
話は違いますが、今読んでいる本の一節におもしろい文章を見つけました。感じるところがあったので簡略して抜き書きします。

中国、韓国、香港、台湾、などの東アジア中心の国々には結婚式用のフォトブック作りが人気だそうです。
「写真を撮られる時に日本人はピースサインくらいが良いところだが彼らは映画スターの様におもいっきりポーズを決める。プロのカメラマンを連れて観光地や景勝地を回る。
日本にもフォトブック用の写真を撮る文化が広まらないのとアジア人の中でも日本が一番英語が出来ないのは何か関連があるような気がする。
フォトブックを撮っているカップルのあのポージングの臆面の無さを日本人が内面化できれば英語を早く習得できるようになるのかもしれない。
「結婚問題」深澤真紀 春秋社 2011年発行 83P

わ! やっぱり話はそこまで深くなるんだ・・・!

こういうわけのわからない展開がTadokuの大きな魅力ですね。
❍川さん、ありがとう! ありがとう!!

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