絵の世界に浸ること・・・ 南阿蘇オフ会から

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7月5日と6日は南阿蘇高森にあるある別荘で、湯煙オフの
再現がありました。湯煙オフ会というのはSSSが盛んだったころ、
別府温泉に浸かりながら本の話をしようというので、20人くらいが
日本中から集まったのでした。二度あって、二度目にはわたしも
参加しました。

今回は総勢13人でしたが、それでも本当にゆっくりした、楽しい
語らいの一泊二日でした。梅雨と台風8号接近の合間とて、
二日目に予定していた草千里行は中止になりましたが、その分、
みんなで延々とおしゃべりを楽しんだのでした。

一日目のおしゃべりはブックトークでした。
Skypeブックトークおしゃべり会と同じです、何もかも。
みんなで本を持ち込んで、いろいろ語り合いました。

で、二日目の午前中になぜかわたしがジグソー・パズルの話を
始めたのですね。実はわたしは90歳になる母の唯一の楽しみを
手伝って(を言い訳にして)、ジグソー・パズルをよくやるわけです。

(まったく時間潰しであります。
「無駄に元気がいい」と言われるのもわからないでもありません。)

ところがですね、1000ピースくらいの名画のジグソー・パズルをやると、
実にまあ、絵の隅々まで、細部の細部まで食い入るように
見つめるものだから、さまざまな発見があるのです。
時間潰しでないと言い張ることもできるかと思うほどです。

たとえばゴッホの Starry Night をやったときはゴッホと一緒に頭が
ぐるぐるしました。Monet の「日傘を持つ女」だったかな、ひなげしの
土手の上にこどもと立っている絵では、ただ絵を見ただけでは
ぼやっと描かれているように見えるだけの顔をスカーフが、
実は風に吹かれて顔にまとわりついていることまで見えてきます。

ブリューゲルだったかな、「バベルの塔」は、細部まで本当に
細かく描き込んであるのがわかるし、背景の町や山野まで
詳しく描いてあることがわかります。

ゴッホの「糸杉」や、「オーヴェールの教会」は、筆遣いや絵の具の
微妙な違いが見分けられないとなかなかピースをはめられません。
「夜のカフェ」で焦げ茶が混じった黒と、緑が混じったような黒が
どこでどんな風に使われているかなんて、ジグソー・パズルを
やらなかったら、絶対見えてこないのではないだろうか?
それとも画家ならば当たり前のように見えるのだろうか?

そういえば Millet の絵は長い間半分バカにしていて、
凡庸な風景画かと思っていたのが、ジグソー・パズルをやったら、
とんでもない! 天才と思えてきました。ゴッホが尊敬していた
という話がやっと分かった。たとえば「落ち穂拾い」では、
手前が暗くて、遠景になるほど明るいのですね。それがなんだか
立体的に見えてくる! 遠くの稻束を載せた馬車の上の農夫が、
まるで動いているように見えてくる・・・

絵にも、うたと同じくらい力がある・・・ことがある。
そのうたと絵を二つ合わせたのが Don Mclean の Vincent です。

Don McLean – Vincent ( Starry, Starry Night) With Lyrics

既出ですが、もう一度、ジグソー・パズルをやったあとでは、
今までとは違って聞こえそうな気がします。

南阿蘇オフ会の感じのみなさん、ありがとう!!!!!!!!

残念だったのはペギー双葉山さんことサーキットの大岡越前守さんと
会えなかったこと・・・ ・・・ ・・・

次回こそ会いましょう1

 

 

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