多読的翻訳

多読から翻訳へ! 超訳へ跳躍?

ちょうどいい機会なので、この話題で一つ付け加えます。

一つ前の記事で、今月は多読仲間が翻訳を始めたというよい知らせが相次いだと書きました。
そのうち二人の人がわたしに「超訳」はいいのだろうかと悩んでいるということでした。

超訳は例のシドニー・シェルダンの翻訳で悪名を馳せましたね。かなり批判されましたが、その原因は超訳がいけないからではなく、いい加減な超訳だったからでしょうね。わたしは「直訳」はありえないと考えているので、昔で言うなら「意訳」、今なら「超訳」しかないですよと、どちらの人にも答えたのでした。

最新の言い方なら多読的翻訳?!

みなさんだったらどう助言しますが? もし意見や感想があったら知らせてください!