ことばは文字ではない

ことばが使えるようになること うう・・・漠然としすぎている!

ことばを吸収して、それを自分で使うのは、
今まで言われてきたように言葉を覚えて、思い出して使うことでは
ないと言い続けてきました。

じゃあ、どういうことなのか?

ある人のメールを「続き」で引用します。
この人の感想がわたしが考える吸収、再現をそのまま表現している
ように思うのです。

(このメールを寄せてくれた人はとても変わった人で、
多読関係には変わった人が多いのでそんなにみなさん驚かなく
なっていると思いますが、きっとびっくりすると思います。
まだくわしくは紹介できませんが、楽しみに待っていてください。)

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この人にはいま字幕なし多観を実験してもらっていて、
ときどきその様子を報告してくれます。
この報告は第14号(!)。
で、第13号で、 by so doing という表現を知らないうちに使っていたと
報告がありました。以下は第14号でその続きを書いてくれたものです。
続き~by so doingという表現について~
きっと以前どこかで見聞きしたのだろう。
けれどもそれきりすっかり忘れていて、今回ひょっこりその記憶が引き出された。。。。ということ。。。
そうだとすれば、この現象こそが、いつの間にか表現ができるようになっていることなのではないか。
そうたいして気にもとめず、いつ使うとも知れない表現を覚えていて、ここぞという必要な時に
本人の思いもかけずに出てくるなんて、不思議なことだ。
この体験から思うのは、無理に覚えようとせずともいいのだということ。
忘れてしまえとまでは言わないが、むしろすっかり忘れてしまったとしてもそれはそれでいいのだ。
やさしくたくさん読む聞くを実践していると、表現が知らずにたまっていく。
つまりそういう体になるのだ。
そう、脳改革というべきか、体改革というべきか。
テキスト開いて問題集を解く、机上のお勉強ではない。
そういう意味では体育、図画工作、音楽、調理実習だ。

これまでわたしはずっと

「白い紙の上に印刷した黒い活字ではない」

と言ってきました。そうではなくて、

「生きた人間が生きた場面で生きた人間に使うものだ」

と。

だからことばを吸収するには生きた場面と生きた人間がそっくり
表現されている素材がいいということになります。
そこで、絵本とその朗読CDやアニメやドラマや映画がいちばんいい!
そういう素材で、場面と気持ちとことばが一緒に吸収されると、
同じ場面で同じ気持ちのときに同じことばが出る、と考えているわけです。
その「出る」はちょっとでも考えてから出るわけではありません。
「場面と気持ちとことば」の組み合わせが同じものが体に入っていると、
ことばは パッと出る のだと思います。
それを「樽からことばが溢れる」と喩えるわけですね。
なお、by so doing は日本で英語学習をやっているかぎり出会うはずは
ないので、その点でも、この報告は生の素材から吸収した言い回しが
ひょいと出てきた貴重な例だと思われます。
今回のある人の場合は、「溢れる」ちょっと手前かもしれませんね。
次を読んでください。
make it two、 by so doing
どちらも強い圧力の中から出てきたもの。
お客様に確認しなければならなかった。
伝えんがために書くことに没頭していた。
言葉は、何らかのコミュニケーションをとおして身についていくのだ。
外からの圧力、伝えたいという強い気持ち。
では普段そういうことのない者がなんとか英語を引っ張り出すには。。。。?
何かを真似すること、かな。
…やっぱりここにたどり着く…
けれども、考えやアイデアを力強く引き出す手もなく自発的に気軽に発信できるということが、どれだけ高度なことか!!!!!
自ら進んで英語で発信している人たちに伝えたい、それは本当にすごいことだと思う。

最後のところ「自発的に気軽に出てくる」のが「溢れる」なのではないか?

いずれまたこの「ある人」については報告します。
とても興味深いのですが、いまはまだ全容(!)を報告できません。
楽しみにしてください!

追伸
月曜日の10時から11時はNPO多言語多読の英語多読講座卒業生の
Skype英語おしゃべり会です。きょう(月曜日)ちょうどこの話題に
関係あると思われる報告がありました。

以前読んでむずかしくてすぐにやめた Swallows and Amazons を
映画を観たあとで最近読んだらもう半分まで楽しんでいる、と。

ことばは活字ではないのです。
活字の向こうに景色や表情が見え、声や音が聞こえてこなければ
読書とは言えないのではないでしょうか?

山形県天童市のAiさんからアンケートのお願い! 

Aiさんのことはこれまで何度もブログで話題にしています。
(検索してください!)
いわば多読で大きく育った人で、多読支援の最若手。
多読を採り入れた児童英語教室、兼おとな向けの多読支援をしています。

そして次々に新しい試みを始める! 脱帽です。
その最新の試みが県の催しで「字幕なし多観」についての講演です。
そこで、Aiさんは全国で字幕なし多観を楽しんでいるみなさんの
意見や感想をまとめたいというのです。これもはじめてのことで、
わたしもその結果に興味津々!

ぜひ次のリンク先で字幕なし多観について回答をお願いします!

http://Tadokuに関するアンケート

よろしくお願いします!

漫画に対する偏見くたばれ! これでもか!!

世の中ののろまなこと、本当に歯がゆい思いですが、
多読関係者のmangaに対する後進性は倍くらい歯がゆい。
絵だけしか見てないんだろ、とか言い出すんです。
あーあ、まったくもぉー・・・

そういう人に読んでほしいブログ。東北大学の日本史の先生です。
カナダ人と言っていいんだろうな。Ryotaさんの引用によれば、

「日本語は、主に子ども向けの漫画で学びました。ひらがなさえ覚えれば、
漢字に振り仮名がついているからです。鳥山明さんの『ドラゴンボール』は、
特に氣に入りました。」

原文は ここ です。

Ryotaさん、ツイートありがとう!

この週末は愛知県三日間ツアー!

近くの多読仲間の温かい、いや、熱い応援に支えられて、
あした19日から21日まで、豊田高専、知多市立中央図書館、
おおぶ文化の杜交流図書館を巡ります。

高専の学生たち、知多市民のみなさん、おおぶの「英語を読み隊」の
隊員(?)のみなさん、どこでも盛りだくさんの予定が組まれていて、楽しみ!

豊田高専では授業を見せてもらいます。何か発見があるはず!

知多講演は、文字から音へ重心を移して、多読からTadoku的スピーキングへ、
楽しく発展します!

おおぶでは図書館多読を続けているみなさんの読書相談と、
多読用図書の虹色ラベル貼り--なんとただのラベル貼りが、
多読仲間といっしょだと手も口も動いてとてつもなく楽しいのです!

おおー、待ちきれないぞ!

メモ:日本語と英語の声の出し方について Kさんの感想

Kさんは日本生まれの韓国語話者です。

https://tadoku.org/blog/sakai-note/2017/12/08/4125

これを読んで、韓国語の発音の仕方についても、思いを巡らせた。
日本語が母語なので、韓国語は後から身に着けた言語だけど、
韓国生まれ、育ちの人が出せる音域?みたいなものが、
私たちのしゃべる韓国語から発せられる音域とは違うという話を、昔聞いた。10年以上も前に。

その後、劇薬シャドーイングという、日本語の発音の影響を受けた英語の発音の仕方をすすぎ流し、英語の音を純粋にインストールする(と、私は思っています。)ことを知った時、あ、韓国生まれ&育ちにしか出せない、音域に私も近づけるかも?と何となく思いました。さて、英語ですが。欧米人の胸板が日本人にくらべて厚い?というようなことを、どこかで聞いたことがありました。

二つ目の段落の最初の文はその通りです。
劇薬シャドーイングはすすぎ洗い!
すすぎ洗いしてから英語の音をシャドーイングして吸収します。

そして胸板の厚さという話--たしかに聞きますね。
でも一方で体つきの違いが関係しないかもしれない点もあります。
日本列島の日本人と変わらない体型の、たとえばJapanese American が
日本語母語話者とはまったくちがう発声で英語独特の音を出しますね。

発声の仕方の違いも言語学の授業時にききました。だから、発声の仕方がかなり違うのだけど・・・劇薬シャドーイングで発音のクセをすすぎ洗いして、英語の早いのを、英語のゆっくりのなどを、気ままにシャドーイングしていきました。そしたら、シャドーイングについていくときに生まれる、口が追いつかないという、「口が忙しい」感じが減ったのですが、このブログを読んで、確かに、私は、体の奥から声をだすようになってきた体感があります。そうじゃないと、なんか、喋りにくいんですよね!韓国語も同じです、口先だけでしゃべっていると、ちょっとなんとなく???なのですが、ドラマなんかを真似て喋ったりしていると、それっぽい発音に近づきます。大変、興味深いです。

ほー、韓国語でもおなかから声を出すのですね。
日本語はたいてい喉くらいから声を出している感じですね。
それはそれで日本語の特徴なんだろうけれど、その発声では
出ない音が英語や韓国語にはあるのかもしれません。
わたしのこれからの研究課題です。

私と同じように日本生まれの韓国人で、現在は韓国在住なのですが、仕事上、発音が良くないことが大変不利だそうです。こちらが優位な立場ならまだしも、そうじゃない場合は、交渉などの場合に不利だなと感じるという話を聞かされました。発音やイントネーションよりも、話すこと。そういう話も過去に聞きましたが、私は発音やイントネーションはパッケージ力でもあるので、大切って思います。パッケージ力(外見、話し方、立ち居振る舞い)は、心無い人の前では、自分を守る鎧になると思います。話しが脱線しましたが、シャドーイングは奥が深いです。

外国語を話せる場合に単純化すると、三つの段階を経るような気がしますね。

① 話すだけで褒められる
おもに観光旅行先で? 要するに期待されていない!

② 困ったもんだの力だけど、内容があるので許される
仕事で使う場合。ただしやりとりに時間がかかると、
あきらめて放り出される可能性あり。
時間はかかっても内容が相手に必要な場合は我慢してもらえる。

③ 内容だけでなく、自然さを求められる
Kさんの挙げている「不利」な場合はこれでしょうか。
内容は同じ程度なら、やりとりに気を遣わないで済む方が有利になる?
これをカバーするのがKさんの言う「パッケージ力」なのかな?
話す場合の最後の段階ではないだろうか?
酒の席で相手の文化を弁えた付き合い方ができる、とか
けんか別れになったあとの処理の仕方が相手の文化にふさわしいとか、
いくらでもあるでしょうね。

一つだけ思い出した!
電気通信大学の同僚で、アメリカの永住権をとった人がいました。
その人が裁判所でもめたあと永住権をもらえる裁決が出ると、
それまで反対の論を張っていた検事かな、弁護士かな、役人かな?
わかりませんが、Congratulations. と言って握手を求めてきたそうです。
そのことにびっくりしたと同僚は言っていましたね。

こういうのがパッケージ力かな?
ことばの氷山で言うと、海面下の部分?
ひょっとすると「なりきりシャドーイング」でパッケージ力も高まる?

Kさん、ありがとう!