例の誤報とお詫びの話じゃないんです。
「英語をたどって II」という記事で、9月中に連載されていたようです。
一部は読んでありました。
(「だれでも多読武蔵野」という多読サークルのメンバーが全10回の切り抜きをくださいました。
Kさん、ありがとう!)
まず第一に不思議に思うのは、刀祢館正明という記者が自分は素人と自称していることです。
「とうとう英語が身につかなかった」と第2回に述懐しています。
おかしいですよね? 政治や経済のことを記事にするのは、政治や経済を専門に追いかけて、
ある程度は「身についた」という自覚のある人ではないだろうか?
でも英語については堂々と「素人」が発言していいことになっているようです。
いや、twitter やブログで「発言」するのはちっともかまわないとして、
新聞で、素人が、ふらふらと、あてもなく、「花子とアン」だとか、なんだとか、
はやりの事象だけを追いかけて記事にして何百万人に読ませる・・・
わたしにはその度胸、というか、図々しさ、厚かましさ、軽さがまったくわからない。
わたしはジャーナリストというとジョージ・オーウェルを思い出すわけで、
(オーウェルはジャーナリストじゃなかったかもしれませんが、
ジャーナリストの神髄はオーウェルにあると思いこんでいるので)
夢の職業なのですが、朝日新聞には「英語をたどって II」みたいな記事がほとんどで、
朝刊全体をいつも5分くらいで見終わってしまいます。NHKの籾井会長というのも、
ジャーナリズムに就職したという意識がまったくないらしいし・・・
(いや、原発関係の記事など、続けて読んだ記事もないではありませんが、
わたしが朝日新聞を購読している最大の理由は朝刊の漫画「ののちゃん」のためです。)
そうかそれとも、政治も経済も、素人が書いているのか?
それに、英語関係では専門家がいないのかもしれない。
いや、専門家ということになっている人はいるけれども、日本の英語教育が失敗している以上、
専門家とは言えないのか?