先生と生徒の関係--英国ブライトンの Fran さんの教室から

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次のブログ記事をさらっと読んでください。

ごく短いものですが、とても多いなヒントがあったので、
わたしは大きくうなずいて、記事にしておくことにしました。

英国ブライトンの Fran さんのブログから

なお、Facebookでシェアした内容とまったく同じです。

3行ばかりの短い記事ですが、successful 多読支援のあり方がよくわかると思います。「先生」のFranさんは「生徒」のみなさんからいろいろなものを受け取りながら「生徒」の日本語獲得を手伝っています。

多読支援を「先生と生徒」のあり方という角度から考えると、「先生と生徒」の立場の違いが少ないほどいい手伝いができていると感じます。これまでいろいろ見てきた経験から出た今の感想です。

先生が生徒の時間を管理する程度が少なければ少ないほど「生徒」は自由に伸びていくのではないか? 日本では先生は当然のように生徒を管理するので、Franさんのような「先生と生徒」の関係はめずらしいと思います。

けれども、たとえばNPO多言語多読の講座は先生/講師をなくしていう方向です。スペイン語多読講座ではすでにそうなっているし、英語でも講座卒業生が講師ではなくお手伝いをしはじめました。「先生と生徒」がいっしょに、対等に学ぶ場を作っていく--当たり前のはずですが、おそらく千年以上(?)も続く日本の伝統は簡単には変わらないようです。

多読は「学習」について、さまざまな日本の常識をひっくり返してきましたが、「先生と生徒」の関係もひっくり返そうとしています。楽しみです!

ここで一つたぶんほとんどの「先生」がびっくりするはずの事実を書いておきます。
NPO多言語多読の多読講座はこれまで「講師」がいました。いまもまだ「講師」という
呼び名はありますが、一部の講師は使わないようにしています。

その講師ですが、講師になってもらうのに、事務局では教員免許はおろか、
英検の資格もTOEICの点数も聞いたことはありません。そんなことは
多読支援の条件にはまったくならないと考えているからです。

では条件はないのか? あります。二つだけ。

一つ、自分でも多読していること
二つ、「生徒」一人一人の顔を見ることができること

この二つの条件はわたしが多読普及直後に言い出したことですが、
いまだに修正する必要はないように思われます。

この二つはたまたま今夏8月5日の支援セミナーの運びと見事に重なっています。
多読と多読に関心のある人はぜひおいでください!

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