新しい本の原稿の一部です・・・ 多読フォーラムと同じ内容です!

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2月11日のたどくらぶで、わたしは書き始めたばかりの原稿の一部を
読んでもらいました。

本の内容は多読仲間(SSSの時代も含めて)が語ったもので、
わたしは単にそれを口述筆記するようなものだからです。
今後もできるだけみなさんに、「みなさんが書く本」の途中経過を
知らせようと考えているので、よろしくお願いします。

たどくらぶの報告は多読フォーラムですることになっていますが、
原稿を添付することができないので、こちらに貼り付けます。
あ! 長くなるけど、フォーラムに貼り付けてもいいのか!

いや、両方に貼り付けます。(よく見ると結構長い!)

まえがき ―― 暗記なし、文法なし、苦労なし、問題なし!

英語を話すのは大変なことだと、日本ではだれでも思っています。よほど努力しなければ話せるようにはならないと考えられています。あるいは英語国で何年か暮らさないかぎり、何気なくさらさらと英語で話すことなんてありえないと思われてきました。

そんなことはありません。世界には本当に気軽にどんどん英語を話してしまう人たちがたくさんいます。そちらの方が「世界標準」かもしれません。それに日本人でも、ずっと日本に住みながら、苦労などちっともせずに英語が使えるようになった人を、わたしは何人も見てきました。逆に、外国人なのに信じられないほどたくみに日本語を話す人も知っています。その人たちは日本で暮らしたことも、日本語学校に通ったことも、そもそも日本語の「勉強」をしたことがありません。

そういう人たちは特殊な人たちでしょうか? 母語であれ外国語であれ、あっさり軽々とことばを獲得した人たちには何が起きたのでしょう? わたしは2002年に「快読100万語 ペーパーバックへの道」(ちくま学芸文庫)で多読を提案して以来ずっとそれを考えてきました。「快読100万語」はさいわい多くの人に共感していただいて、多読で提案した「とんでもない道」はたくさんの人が歩いてくれました。けれどもわたしはずっと、それで終わりではないはずだという思いに囚われてきました。今やっと「あっさり英会話への道」を見つけたと思っています。

その道は努力を必要とするつらい道ではありません。多読と同じように、がんばらなくていい、ただ素直な気持ちにしたがって歩いて行けばいい――そういう道です。「外国語の会話に、そんな楽な道があるわけがない!」そういう声が聞こえてきます。けれどもわたしが多読を提案したときも、「辞書なし文法なしで英語が読めるはずがない」という声がほとんどでした。今回は「読む」ことよりむずかしいことになっている「話す」が主題なので、きっともっと疑いの目や疑問の矢が向けられることでしょう。

そうした疑いや疑問は当然のことです。さらさらと気持ちよく会話を続けるには「聞く・読む・書く」すべてが完璧でしかも高速でできなければいけないと思われています。高いハードルで、想像を越えた時間がかかりそうです。それを苦労や努力なしで短期間で飛び越える、そんなことは夢かたわごとのように聞こえるでしょう。この本はそうではないことを理屈と実際の両面で納得してもらうことをめざします。理屈あ面では、なぜこれまでの会話本とまったく異なる方法なのか、その背景と理由をお話しします。実際の面では、声に出す「実習」をたくさん用意して、ゼロから普通の会話へゆっくり少しずつ進んでいきます。

とんでもないことを言い出したと思われそうです。でも、「読む」ことだって「辞書なし、文法なし」でうまく行った人が少なくとも何千人といます。「話す」だって、違いはしません。日本では英語と英会話に数限りない誤解があります。そのためほとんどの人は英語にも英会話にも複雑にねじれた認識と想いを抱いていて、英語がはるか遠くのものに見えています。誤解もねじれもさっぱり洗い流して、「をさなごのやうに」英語を口にしてみましょう。

序章 をさなごのやうに

この本の構成――おとながこどもに戻る道筋
まえがきに書いたことを一言で言えば、「こどもが母親のことばを身につける道筋をおとなも真似しよう」という提案です。これは文字通り途轍もない企てです。おとなになってから外国語を身につけるためだろうとなんだろうと、こどもに戻る道なんてあるはずがない、 おとなとこどもをいっしょにするな、海外のマンガ・オタク、アニメ・オタクは特殊だ・・・普通のおとなならば一笑に付すことでしょう。

この本はみなさんを「をさなごのやうに」外国語を身につける冒険に誘い出そうとたくらんでいます。途轍もない、途方もない企てですから、みなさんがこれまで辿ってきた英語学習に接ぎ木することはできません。今までの歩んできた道はきっぱり捨てて、赤ん坊のころに戻ってもらおうという無謀なもくろみです。

たしかに無謀に見えるとはいえ、2002年以来多読する人たちをよく見て、よくよく考えたところ、わたしには赤ん坊に戻ることはむやみやたらな冒険ではないように思えてきました。それどころか、まっとうな道をたどれば外国語を身につけるための期間は、赤ん坊が母語を身につけるよりも短期間になりそうなのです。

そのまっとうな道筋を見失わないように、いくつか標識を立てることにします。いちばん大事な標識は三つあります。従来の道を外れるための「Unlearn」という標識と、新しい道を示す「Learn」という標識、そしてこの本の幹線道路にあたる「実習」の標識です。三つの標識はこの本のそこら中に立っていて、みなさんが今読んでいる部分がどういう役割を担っているか、わかるようになっています。つまり・・・「Consider this!」?

*「Unlearn」の標識 頭をまっさらに・・・
Unlearnは、Learnしたことを「ゼロに戻す」ことであり、「忘れる」こと、「なかったことにする」ことです。英語と英語学習に関する大きな誤解を解くためには、理屈っぽい解説を避けるわけにはいきません。理屈はきらいだという人には面倒なだけかもしれません。そう感じたら飛ばしください。Learn の方がおもしろいことが書いてあると思えば、そちらを中心に読んでください。ただ、この本あるいは街のどこかで、「わたしもやはり学校英語の理屈に囚われている」と感じたらこの標識にもどって理屈を追ってみてください。ああ、なるほど、と感じるかもしれません。
Unlearnするのは、「I=わたし、you=あなた」から、「過去形=・・した」、「this、it、that=これ、それ、あれ」、「日本語と英語の音で違うのはLやRやaeなどだ」といった、小さく見える誤解や、大きいところでは「ことばは文字だ」、「英語は単語でできている」、「暗記は必須だ」、「文法の理解なしには外国語習得はありえない」といった誤解をこの標識で解いていきます。おそらくどの話もみなさんを唖然とさせるでしょう。わたしがうまく 説き明かすことができれば、みなさんの目から何枚も鱗が落ちて、唖然は「なるほど」に変わるはずです。

*「Learn」の標識 まっさらな頭にまっさらな見方を・・・
唖然としたあと、なるほど「学校英語ってそんなにも的外れだったんだ!」と納得したら、新しい見方に耳を傾ける心の準備は完了でしょうか。Learnの標識で、新しい考え方を説明します。するとあなたはもっと唖然とすることでしょう。そしてわたしの説明がうまく行けば、さらになるほどと思うかもしれません。そして、願わくば、そこまで変わった考え方ならちょっとおもしろいかもしれない、と思ってもらえるかもしれません! そうなると「実習」標識の出番が整ったことになります。なお、Learnの内容も理屈です。新しかろうが、古かろうが理屈はいやだという人はどちらも飛ばして、いきなり実習をはじめてもいいでしょう。

*「実習」の標識 口と手を動かしてみよう!
この標識がTadoku的スピーキングの本道です。LearnもUnlearnもこの本筋につなげるための誘導路でした。当然のことですが、unlearnとlearnは1枚の硬貨の裏と表にあたります。Unlearnで汚れしながら汚れていない英語が心と体と頭に染み込む――「実習」を通してその両方を同時に実行することになります。いわば「をさなご」にもどりつつ(unlearn)、「をさなごのやうに」ことばを吸収(learn)していきます。

*「多読」の標識 Tadokuへの一里塚
UnlearnとLearnと「実習」の標識に加えて、すでに多読はかなりやったという読者のために多読とTadoku的スピーキングを結びつけるコラムを用意して、「多読」という標識をつけることにします。

すでに多読を経験した人は多読をはじめたときの「発想の転換」を思い出せば、まあまあたやすくTadoku的スピーキングをはじめられるはずです。多読とTadoku的スピーキングには驚くほどたくさんの共通点があります。ちょっと考え方を変えれば、多読(文字)からTadoku的スピーキング(音)へ、言ってみれば文字から音へ「平行移動」が可能なのです。なお、この標識は、「多読、多読ってあちこちに出てくるけれど、いったい何のことだろう?」という読者向けでもあります。今まで多読をしたことのない人にはTadoku的スピーキングと並行して多読・Tadokuを勧めます。くわしくは「多読」の標識でお話ししましょう。
1.
出発の前に あなたはいまどこに?
その前にちょっとだけ、簡単な質問に英語で答えてください。その答えであなたのいる位置を、ぼやっとですが確認することにします。さて、会話には場面が必要ですね。それはNHKの外国語会話番組などでもご存じの通り。おおよその場面を設定しますから、あなたはできるかぎり場面を思い描いて、登場人物になりきって、一言答えてください。

質問 あなたは南仏アルルのカフェでのんびりしています。その様子があまりにしっくりしていたのでしょう。隣のテーブルの外国人が英語で話しかけてきて、How long have you been in Arles? と言いました。どう答えますか?

答え① … … I … I … … 詰まってしまってその先が出なかった!
Aトラウマ型? そもそも何を訊かれたかわからなかったので、質問を反芻して、それからやっと答えようとしたけれど、次が口から出てこなかったのかもしれませんね。学校で不得意だったせいで、いまだに「学校型の英語」でよい点数を望んでいるかもしれませんね。

答え② … … I … have … been … here … for … と始めた人
Bトラウマ型? すばらしいですね。最後にforまでついている! 学校で相当英語が得意でしたね。でもそのせいでいまだに試験でよい点数を望んでいませんか? まず質問を正確に理解しようとして、How long…? を全部頭の中で繰り返して、和訳して、それから答えを考えて、英訳しようとしませんでしたか? 和訳も英訳もできるということはすばらしい! でも、間違いを指摘されるのは避けたくて、言いたい英文をチェックしていませんか? といった何やかやで、ことばが非常にゆっくり出てきたかもしれません。

答え③ Five day.
能天気型? 何も考えずにサラッとこんな返事が口から出てきたら上々の旅立ちと言えますね。たいしたものです。さいわい学校英語はあまり影を落としていないようです。第一、何を訊かれているかよくわからなかったのに、おおよそ見当をつけて答えてしまっただけでも、すばらしい! その上 Five days. と複数形になっていませんね。学校英語に汚されていないようです。それもすばらしい!

Aトラウマ型の人へ・・・
学校のとき英語が不得意だった、嫌いだったというのはちっとも悪いことではありません。15年以上多読する人を見てきて、学校英語の害はとても大きいと考えるようになりました。あなたはむしろ汚れていないと言えます。早くポジティブな解釈をして、脳天気型に変身・変心できるといいですね。それにはきっと「実習」が役に立ちます。学校で嫌いだったことも不得意だったことも、英語を話すにはまったく関係ないことが納得できるはずです。

Bトラウマ型の人へ・・・
ことばを使うときに、内容に気を配るのはいつでもどこでも当たり前として、ことばの細部にこだわる話し方は自然とは言えないと思われます。とはいえ、主語から順に並べる癖を捨てるのはとてもむずかしい場合があります。でも、だからこそ実習編が充実しているのです。たっぷり実習編を楽しんで英作文をしなくてもポンと適切なことばが出てきて、気持ちや考えを伝えることができることを納得してください!

脳天気型の人へ・・・
何も言うことはありません。そのまま(得意の)何も考えない流儀で実習編へどうぞ! ただし、体と心と頭にやさしい英語をたっぷり貯める必要があります。さもないと、何も考えないだけに、何も出てこないかもしれません。もしまだ多読・多聴をしていないなら、「多読」の標識を目当てに始めてください。多読多聴と実習編が脳天気に結びついたら最強です!

コラム お分かりかもしれませんが、この「テスト」は正解を求めてはいませんね。簡単な英語に「どう答えるか」で、「学校英語にどのくらい囚われているか」という見当をつけようというのです。脳天気型の人は、主語からはじめて、動詞、目的語、副詞などといった面倒なことは考えなかったようですね。それに対して「正しく答えなければ」と緊張したA、Bトラウマ型の人はぜひ Unlearnの標識を参考にして、「正しくなければいけない」という緊張をほぐしてください。ほぐし方についてはいろいろな方法をコラムで提案しましょう。
一つのほぐし方として、こんな風に考えてはどうでしょう――学校英語をきちんとやった人はI have been here for と始まりましたが、そこまでは質問をくり返しているだけだから、冗長なだけで(「Unlearnフル・センテンス伝説」を参照のこと!)、質問した人はそのあとを聞きたいのに、大事な情報の前でピタッと止まったので、たずねた相手は待ちきれなくなってしまう!
中にはI’ve been here for five days.と一気に言えた人もいるかもしれませんが、forまではいらない情報という点は同じです。くつろいだ場面で旅を楽しんでいるというよりは、正しい英作文を心がけた返答になりましたね。「正しく」よりも、相手の気持ちを優先する方向に少しずつ頭を切り替えていきましょう。実習編はその手伝いをめざします。

コラム 自己満足閉鎖型
そのほかにこの本ではページを割けませんが、「自己満足閉鎖型」と呼べそうな人たちがいます。この人たちはNHKの英語講座を続けることや単語帳や中学校の教科書暗記することが生きがいにのようになっていて、実際の場面で使うことは考えてないようです。ですからさきほどの質問にどう答えるかなどということも眼中にありません。モットーは「継続は力なり」、「コツコツ」、「苦あれば楽あり」、「辛抱する木に花が咲く」――実際に使ってみれば花は咲いていないとわかるはずですが、たまさか使う場面に遭って不足を感じても「まだ修業が足りない」と反省して、同じことをもっとたくさん繰り返します。放っておきましょう。

コラム? マウスアートで、こどもの道、学校英語、まっとうな道を描く

 

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