☆☆☆Tadoku新サイト☆☆☆ Tadoku講座の講師ってどんな人?

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Tadoku新サイトの「英語多読講座」のページ に続く第2回です。

今回は講座の司会者である講師・補助の人たちについてお話しします。
そこにNPOの講座の特色がとてもはっきり表われていて、
しかも多読・Tadokuの特色そのものも表われている!

その驚きの事実をいくつか・・・
*講師も補助も一切教えない。
*講師や助手になるのに試験はない。
*講師はレベルを上げさせようとしない。
*ある受講生は別の講座では講師である。

ははは! 頭の中を掻き回されましたか?

*ではいったい多読講座の講師や補助は何のためにいるのでしょう?

おおー! この話を書くのはたぶんこれが初めてではないかな?
大事な話なのにちゃんと書いたことはなかったような気が・・・

*講師も補助も何も教えようとしない。
これは何度か書いたことがあります。「多読支援三原則」ですね。
その第一が「教えない」です。
(第二は「押し付けない」、第三は「テストしない」)

こどもであれおとなであれ、「教えるから学ばない」のですね。
(教えるから学ぶように見えることもあるでしょうが、それは先生の言うことを
吸収しているだけで、自分で考えているわけではない、たいていの場合。)
教えなくても、自分に必要なこと、楽しいことだったら、放っておいても
自分から獲得しようとします。

NPO多言語多読の講師はみなさんがことばを獲得する様子を静かに
見守ります。そして、必要だと思われるところで簡単な助言をします。
「うまく書けましたね」とか、「その本は難しすぎない?」とか、
「もう少し速い素材でシャドーイングしてみましょう」とか・・・
自分のTadoku経験、支援経験から、いちばん手助けになりそうな一言を
心のどこかから探し出してきて、伝えます。

あとは生徒が自分で伸びていく・・・

*講師や助手になるのに試験はない。
TOEICや英検といった試験も資格も一切関係ありません。
世の中は試験・資格が大はやりです。中でも「先生」ともなるとかならず
なんらかの数字が要りますね。教員?級免状、英検?級資格、
TOEIC?点以上、経験?年以上--どれも数字で表されていて、
一般の世の中ではそのことをだれも不思議に思っていない!

一般の世の中からすれば多読・Tadokuは普通ではありません。
だからNPO多言語多読が講師に期待することは数字ではなく、
たった二つだけ・・・

① やさしい素材をたくさん楽しんでいること。
② 一人一人の顔を見られること。

多読支援者の二条件とわたしは呼んでいます。
多読時代の初めのころは①が
「やさしい本を100万語分くらい読んでいること」でしたが、
基本的には同じ内容ですね。
言い出してから15年近く経っていますが、
Tadoku時代になっても変える必要はないようです。

いまNPO多言語多読で講師をしている人たちはみんなこの二条件を
満たしています。
加えてこれから①を満たせば講師になれる人たちがたくさんいます。
いちばん大事なのは②です。一斉授業ではなくて、一人一人に
その人だけの手助けができることです。

*講師はレベルを上げさせようとしない。
講師は「生徒のレベルを上げよう」とは考えていません。
普通は先生は「生徒のレベルを上げること」が使命ですね。
NPOの講座は試験のためにあるわけではないので、
「レベルを上げる」という言い方自体に意味がありません。

それで思い出すのはSSSの掲示板時代の人たちの中にも、

「ペーパーバックを読みたくて多読を始めた
またはTOEICの点数を上げたくて多読を始めた、
けれども絵本や児童書がおもしろくてペーパーバックを読む気に
ならない、またはTOEICはどうでもよくなった」

という人が何人もいたことです。

レベルや点数や語数や資格は、ことばの本来の守備範囲ではないで
しょうね。
もちろんはじめからそこまでわかって多読講座を受講する人は
少ないと思います。でも、講座を通していずれお勉強や学習や努力や
精進やトレーニングや反復練習は忘れて、楽しんでほしいーーと、
講師は願っています。

*ある受講生は別の講座では講師である。
そういうことはほかに例があるのでしょうか?
英語の先生がほかの英語の授業では生徒になっている!?

うーん、少なくともわたしは聞いたことがない。
その「聞いたことがない」ことが起きているところに、
NPO多言語多読の独特な点がわかりやすく顕れていると思うのです。

この講師はしかも、つい最近まで英語の先生でした。
退職して、受講生になって多読をはじめて、そこで初めて英語を
楽しむようになったのですね。

受講生をしばらくやってから講師になりましたが、
あまりに楽しいので別のクラスでは受講生のとして
クラスの仲間といっしょに多読・Tadokuを楽しんでいる・・・
なんとも言えません。
「多読・Tadokuには先生も生徒もない」を地で行っている例ですね。

*ではいったい多読講座の講師や補助は何のためにいるのでしょう?
生徒といっしょに外国語を楽しむために、います。
多読・Tadokuという同じ方向に進む先輩として、います。
同じ方向だけれども、同じ道を歩むわけではない、でも、同じような
喜びや迷いや悩みを知っている仲間として、います。

講座冒頭の読書相談で、楽しんだ本や朗読やDVDを語る生徒の眼の
輝く瞬間それぞれが好きな素材に浸って、部屋がすぅーっと静かに
なる時間、読み語りやブックトークを聞きながらワクワクする瞬間、
語る人の気持ちに応えて、聞く人の気持ちが動く瞬間、
そういう比類ない時間へと講座を誘うために講師はいるのですね。
舵取り役とでもいいましょうか。

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「なんだか普通の英語教室とはずいぶん違うようだ」ということは
伝わったでしょうか? でも、一度見学に来ませんか?
多読・Tadokuのクラスについていろいろ読んだり聞いたりしても、
実際の講座の様子を見ると、「なるほど、こういうことだったんですね」と
感じると思います。無料体験講座もあります。ぜひ一度どうぞ!

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