多読・Tadoku はだれのためにあるのか? ペギー双葉山さん再訪

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

多読を作ったのも、Tadoku をこれから作るのも、このブログを読み、
フォーラムに投稿し、メールをくださったり、オフ会や講演会や懇親会で話を
聞かせてくれるみなさんです。

でも、多読・Tadoku は一体だれのためにあるのでしょうか?
そんなこと考えたことないという人が多いと思いますが、
この疑問はかつてSSSの掲示板で頭の切れとユーモアのセンスで名を馳せた
「ペギー双葉山」さん(今の多読フォーラムでは「サーキットの大岡越前守」さん)の
あることばをきっかけに、以来頭を離れたことがないのです・・・

人伝に聞いたことなのですが、何かの論争になってペギーさんは

「多読は俺たち英語のできないやつのためにあるんだ!」

と言ったそうなのです。もう10年くらい前のことです。

当時わたしは「いやいや、ペギーさん、多読は万人のためにあるのです」と
呑気なことを思っていました。それから少しずつ考え方が違ってきて、
今はペギーさんの考えに賛成しているところです。
(また変わるかもしれませんが・・・)

考えを変えた原因はたくさんの人の多読・Tadokuの様子を観察したからです。
その結果、いまは「英語のできる人・できると思っている人」は多読普及の
対象ではないと考えるようになりました。

英語ができない・不得意だという人の方がわたしには「まともな人」と
思えるようになりました。だからわたしはまともな人を相手にしたい。
「わたしは英語ができる・得意だ」と思っている人はどうぞそのまま
夢を見ていてください。わたしがわざわざ壊すことはない・・・

「英語ができない・嫌いだ」という人は日本の英語教育が非人間的なことを
感じ取っているのでしょう。逆に、鈍感な点取り虫が「英語ができる・
好きだ」と思う場合が多いような気がします。そういう人は考えを
変えてもらうのにとてつもない時間がかかり、
たとえどんなに(humanly possible な)時間をかけても
英語学習から抜け出せないことが多いように思います。

(もちろん一生懸命学習した人で、ころっと考えを変える人、というより、
視界がパッと開ける人もいます。)

わたしの時間も、多読・Tadokuの時間も限られています。
まだまだ世の中には多読・Tadokuの考え方をポンッと了解して、
解き放たれる人がたくさんいます。わたしたちの時間はそういう人たちに
使いたい。ペギー双葉山さん、あなたの言った(と聞く)ことが
やっとわかってきました。Tadoku新サイトはもっぱら「英語が(外国語が)
不得意な人」に話しかけることにします。

たとえば・・・

嬉しいことがありましたのでご報告させていただきます。
小6の教え子が先日本気で訴えてきました。
『先生お願いがあるの、小学校の英語講師のJamie先生に、自分のORTを学校に持ってくからみんなに読んであげてと、どうしても頼んで欲しいの。キッパーの絵本のお陰で私はJamie先生のいってること分かるようになったの。チンプンカンプンの子たち、Jamie先生の9割日本語の授業受けてたって、一生英語分かるようにならないよ。本当にかわいそう!! 先生お願い!!』
お迎えにきたお母さんが、『自分がたいして英語できないのに、恥ずかしいからそんなことやめなさい。』と、とんでもないことを言いました。
私はお母さんを制止ました。自ら行動を起こそうとしてるなんてすごいことですよと。それに、英語も確実にこの子のものになっていると。
この子は自分が英語教室に通っていなかったら、チンプンカンプンだったかもと思っているのです。Yellowを覚えるのに2年かかった子です。でも学校の英語の時間では大活躍の様子。読書が大好きで今はCambridgeの子供向けミステリーがお気に入り。日本語ではダレンシャンに夢中です。
この子の熱意に押されて、早速Jamie先生に電話しました。文科省通りのカリキュラムを行わなければならないからと、予測通りの返答でした。[あなた]の生徒とは違うから、本読みしたって生徒が分かるわけないと・・・。
この子がSlow studentであることを伝えると、まさかという反応でした。この子自身の思いであること、他の子も英語がわかるようになって欲しいとこの子は熱く願ってることを伝えました。
Jamieは、Guest Teacherで何回か私の所にきてます。自分の教室の生徒より[あなた]の生徒の方が英語伸びるのは、親がいいからだと言ってたことがありました。Info Trailの地理の絵本を使ってレッスンをしてもらったとき、絵の内容についての質問に、How many~?とか、What color~?とかばかりで、私は目が点に!!日本の子供は英語ができないと決めつけてるようです。

 

この先生を動かすには、どうしたものか?というより、校長先生?教育委員会?
 
知恵を絞らなくては。この子の思いを叶えてあげたいものです。
 
この教え子の熱意が嬉しくて、メールさせていただきました。

なんてやさしい子だろう。どちらかというと slow learner のこどもが、
まわりの友だちが苦しんでいるのを見て、Oxford Reading Tree の読み聞かせを
必死で提案している・・・なんとも言えません。

こういう子の一生懸命な気持ちを思うと、わたしはR先生とともに
「知恵を絞らなくては」と思うものの、校長先生? 教育委員会?というところで
わたしの結論はすでに出ていて、

「為す術はない」

と思うのです。(人は上に行けば行くほど無能になるので。)

思い直す余地はあるだろうか?
しばらくはこの子のやさしさに、後ろ髪を引かれるように
知恵を絞ることになるでしょう。

*****************************

最後にもう一つ、つい最近、この3月の終わりに届いたメールを紹介しましょう。
(一部修正削除はメールをくださった人から許可をもらっています。)

今日は元生徒さんから嬉しいメールをいただいたので、[さかいさん]とシェアしたくてメールしました。

中1春から中2の終わりまで多読中心で面倒を見たお子さんが、3年になると塾だけに絞られましたが、この度めでたく第一志望に合格し、お母様からお礼のメールをもらいました。
英語が得意になったのも多読のおかげですと言っていただき、本人にお願いして多読をした感想を送ってもらいました。
本文そのまま添付します。
もし、何かの参考になるようでしたら、お使いください。

このA子さんご両親の意思で私のところで多読を始めたものの、それは亀のような進みようでした。
真面目な子だったので、定期テストの勉強は欠かせないため、テスト前はその勉強が中心となり、1年経ってもORTは3ぐらいまでしか進みませんでした。

実はA子さんは中一直前の春に[多読で有名なある塾]の短期講習に参加したのですが、逆効果で英語に苦手意識を持ってしまいました。一週間でORTをほとんどやってしまうのですからそれは辛かったことと思います。何の記憶もないと言っていましたから。

私のところで最初からやり直しました。嫌がらずコツコツとはやっていました。ですが、反応もゆっくりで、1年経っても多読が好きになったわけではありませんでした。そのあたりのことは本人も書いています。
3年生になり、塾が避けられないくなったので、やめてしまいましたが、そのあとの話ではなんと英語が得意になり、英語が好きになったというのです。そういえば2年生の後半から定期テストの点が取れるようになってはいました。1年生の時は勉強しても点数が取られなかったことを思うと驚きです。普通だんだん下がりますから。
可愛い絵本が好きで、同じ絵本を何度も借りて帰ったりしていました。そうなったのも2年近く経ってからです。やはり時間がかかる!!のが多読ですね。
本人の言う、’なんとなくわかる’から自信が芽生え、英語好きになってくれたとしたらこんな嬉しいことはありません。

受験が終わりまた多読を再開したかったところ私が転居したので申し訳なくなった次第です。

多読がおかしな形で広がってきて、「学校英語のせい」どころか「多読のせい」で
英語が嫌いになるこどもたちが出てきました。
この「多読で有名なある塾」の塾長が所属する学会では、
「圧迫多読」なるものを発表した先生がいると、これも人伝で聞きました。
恐ろしい名前です。児童虐待にならないのだろうか?

この塾にはもちろんこの塾の論理があって
「1週間でOxford Reading Treeをほとんど読ませる」のでしょう。
たとえば「苦しい多読に耐えられないようでは東大に合格するわけがない!」とか?

上の先生の多読が、圧迫多読で傷を負ったこどもを救ったかに見えます。
なんとも皮肉なことですが、それが現実です。
そもそもこういう現実は多読普及当初から予想していたことです。
いまさら慌てることも、焦ることも、腹を立てることもない・・・

多読で試験に合格したり、高い点を取ったりした人は概して前述のように
「自分は英語ができる」と考えるのでしょうね。
ただ、多読・Tadokuはきわめて robust and resilient
(わたしの翻訳では「したたかにして、しなやか」)なので、
中にはたくみに圧迫をやり過ごすこどももいるでしょうから、
実際に英語ができるこどもも出てくるでしょう。
その比率の大きいことを祈るばかりです。

そうだ、最初のメールのやさしい心根の子に応えるには
やはり一つしか道はなさそうです。
苦しくない、楽しい多読・Tadokuで、
なんの屈託もなく英語ができるようになった子を増やして、
いつか校長先生や教育委員会が多読・Tadokuになびかざるを得ないようにする・・・

それしかないのか? その子に納得してもらえるのか?
いつまで待ってもらえるんだ?
英語の嵐の中で、多読・Tadokuを待っているこどもはいっぱいいるのに、
そんな遠回りな道は祈りでしかないのじゃないか?

ペギーさん、どうしよう・・・?

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る