Frozen という元の映画を観ていないので、いよいよ何にも言えなくなってきましたが・・・
わたしが捉えているletは、なんか情勢的にこうなっていきそう、という
状況の中で、自分の意思でそれに逆らおうとすればできないことも
なさそうなんだけど、あえてそうしないでおく、またはあえて抗ってみる
みたいな感じです。
その「あえて」の度合いが使われる場合によって強くも弱くもなる感じ。
(具体的な例は一つも思い出せないけど、いろいろ触れてきた中でこんな
イメージが出来上がっているようです)
↑ let そのもののイメージということですね。
それなら何か言えるかな? let の裏にある(?)韜晦についてはなるほど、ですね。
おもしろいね、この「読み込み」!
最初、なぜ先生がこのテーマを取り上げたのかよく分かりませんでした。
映画がヒットして、let it goを「ありのままに」と自動対応させてしまって
齟齬をきたしている人が多いんでしょうか。
いや、少なくともタドキストの中にいるとは思えない。。。
あ、そうですね。
多読している人はそんなに簡単に映画の歌詞で影響されないでしょう。
この話題を採り上げたのは世間に向かって言いたかったからかな?
もう分からなくなってます、自分でも。
というわけで、この話題はスルーしようと思っていたのですが、なんかひっかかるものが
あったようで、昨日からyou tubeやらなんやらで英語と日本語の歌詞をじっくり
聴き比べてしまいました。映画は当時DVDで見ました。英語の歌詞を日本語にすると、ホント少しの情報量になって
しまうようで、let it go で「ありの」しか言えない。。。
「ありのままの」でlet it go二回言えてるし。。。
なので、日本語訳は英語の前半の雰囲気は無視するしかなかったのでは、と
推察します。改めて見比べて、この歌では
今まではありのままじゃなかった→これからはありのままでいく という変化を
表現するための「ありのまま」なので、「ここでは」let it go の訳として、
全然問題ないと思います。
(もちろん、let it goは「ありのまま」という意味です、と言っているわけでは
ありません。)let it goをメロディー通りに「ありの」と区切るのがおかしいように、
let it go, let it go
Can’t hold it back anymore
ありのままの 姿見せるのよ少なくとも、ここまでがひとかたまりでこれ以上は区切ってはいけない気がします。
もう少し言えば、多読初期によく言われていた「最小単位は物語」に従えば、
歌詞全体で表現したいものは、区切ることはできないと思います。まあ
それを言っちゃおしまいなのですが。これが最初記事を読んだときに感じた違和感の原因だった気がします。
let it goは歌の中でまとまって三回出てきますが、後半に行くに従ってlet の度合いが
変わっていくなあ、と「深読み」しました。最後はものすごく強い「意思」になっているような。。。
「ありのまま」という言葉自体からはそんな度合いの変化は読み取れず、そこがあえて言えば
違いなのかもしれないです。
はは! 「姿見せるのよ」っていうところさえ知らなかったので、
もう何も言えませんね。
先生、もうPlease let me go. みたいな気分ですか?
islaverde
言えないと言っておきながら、みなさんの行けんや感想を聞くのは楽しい!
変ですけどね。まだまだわたしは I’m not letting it go in a hurry. なので、
どうぞどなたでも連絡をください!!