YL と語数を頼りに多読してきた人にとっては、
方便なんていう呼び方は納得がいかないかもしれませんね。
そこを簡単に説明しておきます。
SSSの掲示板などでは、YL も語数も「遠隔支援」のための大事な道具でした。
掲示板に登場した人に助言をするには、どんな本をどんな風に読んできたかを
知らなければなりません。そこでわたしはこの2点を知るためによく「これまでの
英語歴を教えてください」と返信したものでした。
大学の授業ではどうだったかというと、毎週学生の顔を見て、直接読書相談をするので、
YL も語数も聞かなくてよかったーー一人一人の読書記録とわたしの「カルテ」を見ればどんな本を
どう読んでいるか一目瞭然ですからね。次に勧める本も、レベルではなく、
具体的にほんの名前を挙げて推薦していました。
YL や語数は 一人で 多読する人のための指針であり、遠隔支援をするための目安だった
のですね。(お医者さんに行くと、まず体温を測ったり、体調が悪くなる前後のことを
訪ねたりします。あれですね。)
環境がある程度整っていて、支援しあう仲間がいれば YL も語数もこだわる必要はないですね。
そこが方便にすぎない理由です。
(もちろん半ば遊びで貯金が増えるのを楽しむように語数を計算するのは留めません!
反対に、語数を稼ぐために楽しくないのに同じ本を何度も読むなんていうのは
勧められません。)
ちなみに、電気通信大学の授業でも、NPO多言語多読の講座でも、100万語読みましょう、
ということは言ったことがないです。100万語という「目標」も多読普及初期の
刺激として唱えていました。
それどころか、授業でもNPOの講座でも、多読三原則さえ言わないことが多かった!
一人一人とぴったりくっついて歩みをともにしていれば、刺激も目標も
わざわざ唱える必要はないのですね。それで思い出しましたが、NPOの講座では、
多読記録さえつけていなかった。電気通信大学のときはつけてもらいました。
人数が多くて、一人一人を十分に見られなかったからでしょう。NPOの講座では
わたしが書くカルテだけでそれぞれ順調に伸びていきましたね。
長い間「信じていた語数とYLってそういうものだったの!?」とびっくりしましたか?
SSSの掲示板のわたしの投稿を読み直せば、昔からわたしはそう考えていたことが
窺われると思います。でも、びっくりした人は、ぜひ気持ちや考えや意見や疑問を
寄せてください!
連絡先は全便の記事の最後をみてください。