図書館で仲間と・・・ 多治見図書館のTadokuサークルから!

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いただいたCDがつい最近まで置き場所が分からなくなって、
3ヶ月遅れで記事にします。けれども、一関図書館の報告と重なって、
「図書館と仲間」という二つの大きな話題を大晦日から元旦に採り上げるという
恰好なタイミングになった・・・というのは元旦とはいえあまりに明るすぎる見方でしょうか?

報告をくださったのは多治見市図書館のTadokuサークルが始まるきっかけを
作ってくださった前田王子さんの最初の報告はこちらです。

前田さんがつけたタイトル通りです。普通に考えれば、英語学習は独学が前提ですね。
仲間が必要なんていうやり方は英語学習では謳われたことがないと思われます。
まったく英語学習になんで仲間が必要なのでしょうね?

多読について思うこと
~「なんで本を読むだけなのに、仲間が大事なの?」の巻~
前田王子

早いもので、多治見多読を楽し会(通称 T T T )が1周年を迎えました。
いやホントよく続いていると思います。そこで今回は、少し自慢にもなって
しまいますが、多読における重要な要素について書こうと思います。
一般的には、3原則や仲間が大事とかそんな話は多読をやっているとよく
耳にするんですが、その「仲間」の部分について掘り下げて考えてみます。

前回も少し触れましたが、やはり多読を続ける上で、「仲間」がいるということは
ホントに重要なことです。仲間のありなしで、挫折を乗り越えられるか乗り越えら
れないかが分かれるくらい重要です。

では、なんで仲間が重要なのでしょうか?一人で黙々と多読本を読んで
いてはダメなのでしょうか?

これには、多読の分かりにくさ故の「思わせぶりな挫折」に、まんまとハマって
挫折しちゃう。ということが言えると思うのですが・・・分かりにくいですね(笑)

どういうことかというと、コレばっかりは避けようがない多読の性質のようなものが
あります。多読には、
・遅効性である
・効果が実感しにくい
・成長が実感しにくい
・時々面倒くさくなる
という残念な部分があります。もっと言うと、多読は魔法や必殺技の類ではないので、
割と地道な継続を必要とします。コツさえ掴めばスッとできちゃうような謳い文句も
ないですし、読み流すだけで英語が口から飛び出すなんてことも、絶対にあり
えないわけです。忘れてしまいがちですが、多読とは何かというと、
「今までとは切り口の違う英語の勉強法」なんですね。前提として。決して楽
なモノではないんです。厳しい話ですが・・・。そりゃだって言語を一つ習得しよう
という話なので、さすがに一筋縄では行かないんです。そして、それをフォロー
するように多読三原則があるわけなんです。

じゃあ三原則さえ守っていればいいのかというと、そうでもないんですね。
前置きが長くなりましたが、ここで、「仲間」が重要になってくるんです
(三原則に添って多読を進めていくためでもあるんですが)。

というのも、学習である以上やはり効果や成長は期待してしまうんですね。
これは仕方のないことというか、逆に効果や成長を期待せずに努力することは
なかなか無理があるわけで。英語学習における効果測定としては、 T O E I C
や英検などがありますが、多読を始めてからT O E I Cの点数が目に見えて
上がるまでには、なかなかのタイムラグがあるんです。実は。豊田高専の
西澤先生のデータによると、100万語近辺まで読み進めると T O E I C
の点数にも反映しだす、ということらしいのですが、では、「100万語読む」
ということがどれほどのことかというとになります。

僕の場合、丸1年で15万語でした。要領の悪いやり方をしていたり、
前回にも少し触れましたが、多読をナメ切っていた時期もあったので、
素直に取り組んでいればもっと読める感じです。
T T Tのメンバーで言えば、超早い人は100万語を超えていて、それに続いて
50~60万語を読み終えている人がいる、というのが現状です。
(オフィシャルな読み物ではないので数字はざっくりとしてますが)

この例から言えば、100万語読もうとするなら2~3年は見ておく
必要があると予想できます。ではここで、一つ考えてみましょう。
多読を2年続けていて、半年ないし1年に1回 T O E I Cを受けた場合です。

1回目の T O E I Cは、まあまあ1回目だし、こんなもんかと思うことでしょう。
2回目、そりゃまぁ1年くらい多読やってきて、始めた頃と比べると Y Lも
上がってきて、少しくらい期待してもいいよね・・・?くらいの気持ちが
少なからずあるかと思います。ところが、いざ受けてみたものの、
点数は変わらず。だったとしたら・・・。

さらに3回目を2年以内のうちに受けた場合、これも恐らく大幅に点数が
増えることはきっとないでしょう・・・。こんな結果を見てしまうと、素直に
問題集といてりゃ良かったと思っちゃいますよね(笑)

そうなんです。これが多読の怖いところで、ホントのところ、実力は
しっかりついているんです。これは15万語読んだ僕でも実感してい
るところは多々あります。例えば、ニュースで流れてた英語がふと理解
できたり、聞いていた洋楽の歌詞の一部が急に理解できたり。

ただ、これは T O E I Cの点数としては反映されない部分の実力なん
です。荒く言い方を変えると、多読 はT O E I C向きの学習法ではない
んです。それじゃ意味ないじゃないか!と思ってしまうんですが、多読
はリスニング能力や英語を見ていられる耐久力や持久力なんかを先に上
げるという性質があります。その先に、 T O E I Cの点数が上がるという
ステージがあります。

それで、そのステージに到達するまでが、およそ2~3年(100万語に
到達するくらい)ということなんです。そしてその2~3年の間に
は迫り来る4つの残念ポイントの波。その荒波を一人でかいくぐることが、
果たしてできるのでしょうか・・・?

大事なことなのでまた言いますが、多読本を読んでいれば知らず知らず
の間に実力はつきます。簡単な本を読んでいる、それだけなんですが、
ちゃんと実力はついています。木がしっかりと根を下ろすように、見た
目の成長じゃないところで着実に育っていくのが多読の初期症状と言
えると思います。

ただその成長が、ホントにビックリするくらい実感しずらい、という
だけなんですね。多読を1年も2年もやって、そんなに成長した実感が
沸かなかったなら・・・そして、そんな思いを共有できる環境もなかったとしたら・・・。

こんな状況を、一般的な言葉で表すなら、「挫折」がしっくりとくるの
ではないでしょうか。

ただ、これは本当の意味での挫折ではないので、僕はこれを「思わせ
ぶりな挫折」と名づけました。我ながらナイスなネーミングセンスだと
思っているのですが・・・どうでしょうか?(笑)

なので、一人で多読を続けるということはかなりリスキーなんです。
思わせぶりな挫折と気付かずに去ってしまう人、ネットの記事や多読関
連の S N Sでもちらほら見かけます。顔もみたことない方々ですが、
同じ多読ユーザーとして、ちょっと悲しくなります。その先に明るい未
来が待っているのに・・・。

そんな時に、 T T Tのありがたみ、共有できる仲間がいることのありが
たみが実感できます。

話を聞いていると、やはりみんな同じところで同じような不安や悩み
を抱えていることがよくあります。そんなシーンを見ていると、悩んで
いるのは自分だけではないことが分かって、それだけでも安心できます。

さらに、進んでいる人がその悩みを抜けたりすることが(話す内容や
表情から)分かる時もあります。それを見ることで、自分もそうなれる
ということが分かります。(ネガティブに考えてしまうと、あの人はスゴ
イ、自分はダメだと考えがちですが・・・)

図書館の蔵書、つまり皆同じ本棚にある本を読んでいるわけです。そ
して、その読んだ量で悩んだり進んだりするのであれば、進むためにや
ることはただ一つ。素直に読めばいいんだ。ということが分かります。
これはやはり、仲間がいてこそ分かる部分です。

多読はホントに奥が深いです。

やってることは、ただ英語で書かれた簡単な本を読んでいるだけなん
ですが、そこには色んな効果・効能が隠れています。

そして、効果・効能の周りには思わせぶりな挫折の罠がそこかしこに
張り巡らされています。なので、これから多読を始める人も、すでに
多読をやっている人も、もし一人でやっているのであれば、
一度、多読ユーザーの集まり(多治見であれば T T T )に顔を出すこと
をオススメします。

やはり身の回りで少しでも多読ユーザーが増えたら嬉しいので、僕
の経験談ではありますが、多読ビギナーの方々の一助になれば幸いと
思っております

多読について思うこと
~「なんで本を読むだけなのに、仲間が大事なの?」の巻~
前田王子

「思わせぶりな挫折」とはうまい命名ですね。
挫折というと「もうだめだ!」みたいだけれども、それは世を忍ぶ仮の姿で」で、
実はだめなわけではない、ということですね。

挫折と思っていたら4年半経って復活して、いきなり挫折直前よりもはるかに
レベルが上の本を楽しんだという例が少なくとも二つあります。
そこで、多読では挫折の言い換えがいくつかあって、「中断」とも「停滞」とも
言うし、いっそ「熟成」という呼び方もあります。つまり挫折している間に
「英語力」が向上しているという・・・ おそらく前田さんやTTTつまり
「多治見多読を楽しむ会」のみなさんも、「思わせぶりな挫折」が実は
飛躍の前の助走だということに気がつくときが来るのではないかと
わたしは予想します。

そういう挫折が飛躍前の助走なんて言う訳の分からないことが起きるのが
Tadokuの分からないところであり、おもしろいところですね。
そしてそういう奇妙なことが起きるのを助けてくれるのが「仲間」なのです。

それに仲間がいるとはじめてできることもいっぱいあります。
だからこそ、大晦日に書いたようにこれからのわたしの仕事の最大のものは
Tadokuの仲間を増やしていくこと--これはTadoku関連のどんな事業よりも
困難だろうと思います。

でも、仲間がいればその困難が楽しみに変わる!
これまでの多読・Tadokuの展開から敷衍するとそれは間違いないと
確信しています!!!!!

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