メモ 名前をつけることについて

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名前をつけることで混沌から抜け出せることがあると思いました。その一方で、名前をつけることで固まってしまって抜け出せなくなることもありそうです。

10年近く前にある人が今に繋がる名前を言い出したのでした・・・

それは朝日新聞の記者でした。
わたしの昔の教え子でもあり、わたしの「快読100万語 ペーパーバックへの道」を読んで
くれて、授業を見に来て多摩版の小さな記事にしてくれたのです。

その記事の中で●谷さんはわたしの授業のことを「絵本を使った授業」と呼びました。
わたしはそうは意識していなかったのです。
たしかに大量の絵本を教室に持ち込んでいましたが、
わたしの意識はどちらかというと段階別読み物(Graded Readers)の方を重視していて、
絵本は付け足しでした。

けれども●谷さんがわたしの授業を「絵本を使った授業」と呼んだことで、
それからは絵本を常に意識しながら学生たちの多読の様子を観察したわけです。
わたしはGRと絵本の混ざった状態から抜け出して、わたしの授業の(当時の)本質を
次第にはっきりと見ることができるようになっていきました。

一方、名前をつけることで、考えが固まってしまって、その考え方や見方から抜け出せない
こともありあす。たとえば Graded Readers という呼び方、多読 という呼び名から
抜け出せない場合ですね。わたしが何年も前から tadoku という書き方をしているのは、
そういう「意識の固定化?」を避けたいためでした。

きょうのメモはここまで、実はこの先にまたいろいろ思いついたのです、メモしたいことを!

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