「コンフォート・ゾーン」を捨てるはなさん 慣れを捨てることもすぐに慣れる?

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「コンフォート・ゾーン」という見方があるようですね。
日本語でいえば「ぬくぬく地帯」というか、「ゴロニャン毛布」というか。

はなさんは比較的最近知り合った多読仲間です。
Twitter で知り合ったのだったか?
知り合ってまもなくオーストラリアに行ってしまって、
1年ちょっとくらいでオーストラリアを出たと思ったら、
どうも最近はイタリアにいるらしい。

わたしは「日本人はいつか日本に帰ってくる」という常識に囚われて、
なんとなく「いつ帰ってくるのだろう」と思いながら
はなさんのツイートを見ていました。

ところがどうもはなさんはそういう考えはない様子なのです・・・

引っ越すっていうのもコンフォート・ゾーンから出る行為だよね。

まさにそんな感じで、心地いいものを手放したらもっといいものが手に入るって実感したくてシドニーではどんなに家を気に入ってても引越ししてた

結果としてはとんでもない大家に出会ったりもしたけど、やっぱり引越ししまくってよかったなと思うし、怯むこともやりまくればなんでも無くなるって実感できてよかった

すごいでしょう?

わたしなんぞはなかなか「心地よいものを手放」す気持ちになれない方です。
そこで、どうして「怯むこともやりまくればなんでも無くなる」って、
いつから思い始めたのか、はなさんに質問しました。

せんせーこんにちは 質問の答えですが、長くなりそうなので字数制限のないDMにしますね

そもそもわたしがオーストラリアに行ったのは、逞しいオバハンになりたかったからなんです 日本ではやりたいことがあってもモジモジして出来なくて,なんとか理由つけて諦めたことが数え切れないほどあったので、人生一回しか無いのにそういう人間のままで居て、やりたいことも出来ずに死ぬのは嫌だってある日思ったんです オーストラリアは逞しくなるための練習台の国として行きました。

そういう風に逞しくなりたいと思うようになったのは、実は日本を出る前、多読を始めたのがきっかけでした 多読で、間違えてもいい、完璧じゃ無くてもいいっていうことを知ったわたしは、もう英語に限らず色んなことに挑戦したくて堪らなかったんですね。

日本の風土というか社会の雰囲気としてチャレンジしたり失敗するのは壁が高すぎたので、失敗全然オッケーな国、オーストラリアでやりました 苦手なこと、勇気が足りなくて怯んでしまうようなことは全部やりました 英語でその辺の人に道を聞きまくることから始まって、見知らぬ人のパーティーに参加したり、やったことないスポーツやってみたり(飛行機から飛び降りるやつ…名前失念しました)、カフェに履歴書持って突撃したり、そういう何でもないことから、頑張って手に入れた仕事や家や人間関係でも手放してまたイチから手に入れるために頑張る、みたいなことを毎日毎日繰り返してて、何でもやれば慣れる、苦手なことは潰せるって自分の経験から実感できるように練習してた感じですね。

なので日本にいた時点で、やれば色んなことに怯まなくていいはずって思ってたけど実際に行動に移せなかったのを、オーストラリアでやりまくった感じです ばーっと書いたのでまとまってませんが、質問の答えになりましたでしょうか

いやいや、短いメッセージですが、中身はとても濃い。
その中で一つだけわたしがあらためて取り出したいのはここです・・・

何でもやれば慣れる、苦手なことは潰せるって自分の経験から実感できるように練習してた感じ

練習はうまく行った模様で、いまはイタリアであらゆることをやって
みているようです。イタリア語についてツイートしてましたね、きのうは。

恵まれた人ほどコンフォート・ゾーンから出られないのではないかと思います。
はなさんがすごいのは自分から恵まれないところへ踏み出せること、
いやそれよりももっとすごいのは、恵まれるかどうかなんかかまわずに
とにかく踏み出すことかな。

わたしは生活という面ではかなり保守的で、できれば江戸時代に戻りたい。
はなさんの後を追えるのは考え方という点だけかな?
もっとも生活にだって考え方は大きく関わっているわけで、
生活の面でもはなさんに似たことを多少はやっている気はする・・・

いずれにせよ、わたしははなさんからめをはなさん!
ありがと、はなさん!

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