Aiさんは山形県天童市で児童英語教室を主宰しています。
大学を出たばかりの新人で、中学校3年から多読を始めたという、
多読育ちの多読支援者というわけです。
https://ameblo.jp/i10venglish/theme-10101680457.html
で、Aiさんがきょう「多読支援メーリング・リスト」にした投稿が、
なんとTadoku新サイトの制作中に問題になったことだったので、
こちらに引用させてもらいました・・・
今日はみなさんにお聞きしたいことがあり、投稿させていただきます。多読の進め方と、本のレベルに関してです。
今私の教室で私の中の常識を覆す出来事が立て続けに起こり、支援の方向性が揺らいでいます。みなさんのお力をお借りしたいです。
多読支援メーリング・リストは何らかの形でほかの人の多読を
支援している人たちが参加しています。
(参加希望の方は tadoku.org あとまあく gmail.com まで
メールをください!)
まずは多読歴3年目の小学6年生の男の子。
今年の頭にはORT5が難しいと言っていたのに、今回初めて自分で本選びをさせたらstage7が読みたいと言い、先日「おもしろかった」と言って持って来ました。語数の差が倍以上ありますし、この短期間に読めるようになっていたことに驚きです。まだはやいと思っていたんですが、無理はしない約束で、しばらく本選びを本人に任せることにしました。
この6年生の男の子については最初はわたしのところに助言を求めて
来たのでした。でもわたしには小学生の多読支援経験はないので、
実績のある支援者のいる支援メーリング・リストに投稿することを
勧めたのでした。
そして本の貸し出しなし、レッスンを始めて3ヶ月の男の子。初めて自分で好きな本を選んで読んでいいよと言ったら、なんとJacqueline WilsonのBad Girlsを15分くらい見ていました。1P10秒くらいのペースでめくっていますので、挿絵をおっているのは明白なんですが、それでもその本が「おもしろい」と言ったんです。ちなみに私のところにくるまで本人にも家族にも海外経験や学習歴はありません。中学生でもこのレベルは拒否反応を起こして開きすらしないので、私には内容がわかっているかなど関係なく衝撃すぎる光景でした。
こういう衝撃が多読支援の醍醐味ですね。
決められたことを決められたように「教える」授業では、
衝撃なんてあるはずがない! ところが多読支援をすると・・・
その他にも、ORT4より長い本を読んだことのない子が、mangaを楽しんでいたり、この子たちを見ていると、易しいものからコツコツ、という基本さえ揺らいでしまいそうになります。難しさは所詮大人が決めた指標ですので、本人の「読書の楽しさ」には関係ないんではないかと思えたのです。
↑ ここです。Aiさんは柔軟というか(若さというか?)、
簡単に「基本さえ揺らいでしまいそう」になる!
(もちろんここでは基本が揺らぐことはよいことです。
わたしは歳のせいで基本がなかなか揺らがないーー頭が固い。
そのために「やさしい」と「たのしい」が対立することに
15年間も気がつかなかった! でも、その話はあとで・・・)
Aiさんの「難しさは所詮大人が決めた指標で、「読書の楽しさ」には
関係ないんではないか」ーーここが洞察の鋭さですね。
(いや、洞察の鋭さなんていう言い方をすることがそもそも
頭の固さを表しているのか? 「素直さでまっすぐ」と言えば
いいのではないか?)
例えば、その子の知的レベルに、ORT1がやさしすぎてつまらないのだとしたら、それを無理に読ませるのは良くないですよね?しかし、易しい絵本の恩恵を考えると、全く読まないのもいかがなものかと、、。
みなさんの中で、この子のように幼児がPBを楽しんでいる例を知ってる方はいますか?また、「レベル上げを順番に」を守らなかった例はありますか?そのようなケースをご存知の方はそちらを、そうでない方もお考えをお聞かせください。よろしくお願い致します。長文失礼しました。
さて、Aiさんの投稿でわたしが受けた衝撃についてはいいとしましょう。
いずれ支援メーリング・リストでいろいろ感想や意見や議論があると
思われます。もしあったらまたここで報告します。
いまは、「やさしい」と「たのしい」は対立することがあるという、
Tadoku新サイト制作グループの「洞察」に導かれてわたしが考えた
ことをメモしておきます。
*Aiさんが書いているように、「やさしくてつまらない」場合もあれば、
「むずかしいのにおもしろい」場合もある!
*すべては多読・Tadokuする「ひとりひとり」が決めることではないか?
*考えてみると、わたしたちは15年前からそのことは薄々気がついていた。
けれども、はっきり二つの基準が対立するものだとは意識してこなかった。
*けれども、新サイトをわたしたちの「実感」に合わせる工夫を
するうちに、「やさしい=たのしい」の矛盾が明らかになった。
*多読・Tadokuを進めるときの基準は「やさしい=わかる」ではなくて、
「たのしい」ではないか?
*多読時代の「読みやすさレベル」の具合の悪さは「ひとりひとり」を
無視するところから生まれたものだった。(その意味ではYLも語数も
一人歩きして、偉そうな絶対的尺度になっていた。
*Tadoku新サイトの制作はいろいろな意味で、多読の15年を締めくくり、
新しくTadokuの見方をことばにできた「よい機会」だった。
*「仲間」のページが仲間・なかま・友だちを増やして、さまざまな
考え方や見方や言い回しが出てくれば、Tadokuは次第にしっかりした
パラダイム(一応「物の見方の仕組み」)になっていくのでは?
さて、Tadokuのこれからがいよいよ楽しみ!
Aiさん、新サイト制作に関わった人たち、ありがとう!!