英語にかぎりません。このごろではいろいろなことばを勉強している人がいて、
NPO多言語多読でも、日本語、英語、スペイン語、韓国語、ときどきフランス語と、
さまざまなことばを多読で身につける試みが進行中です。
で、ことばを身につけるというのは、読むだけでなく書いたり、話したりも
含むわけですが、日本語多読を経験したノーステキサス大学の学生の
日本語の会話を手伝う機会がありました。
その報告の第2部に、外国語を話しはじめたばかりの人と話して、
わたしたちが英語で話そうとするときに「どう見えるか?」に通じる
報告が入っています。
6月6日 ノーステキサス大学の学生と多読ワークショップ!(その2)
外国語を話すとなると、自信がない上に、ことばが見つからなくて、
ドギマギ、おどおどしますね。とくに「間違えてはいけない」と
意識すると、よけいことばが出にくくなります。
そこで沈黙が続くことがあるのですが、それはその外国語を
話す人からはどう見えるか、受け取られるか・・・
「出来れば日本語で(会話をしてください)」と言われてスタートした
学生さん達の自己紹介でしたが、中には完全に話すこと自体が止まってしまう人もいました。こちらは「ゆっくりでも英語混じりでも良いよー!話すの待ってるよー!」
という気持ちでいましたが、全く言葉が発されないと推測もサポートも
出来ないものなんですね。ようやく分かりました。これまで習う側しかやっていなかったので、
「間違えるの恥ずかしい」
「日本語が入ったら向こうは分からないだろう」
という思っていました。で、分からなくなったら無言で止まってしまう。でも何語でもいいから何かしらを発し続けることで(話す意欲を見せることで)、
一緖にいる人達と協働で会話は進めていけるんだということを実感しました。
「何語でもいいから何かしらを発し続けること」--会話の第一歩は、
相手に「気持ちや考えを伝え合う気があるんだよ」と示すことですね。
「何語でもいいから」というところがミソで、手振りも身振りでも、
何かものを使ってもいい。とにかく伝えたいことがあるんだ、と
伝え続けると、相手はなんとか分かろうとしてくれるはずです。
いちばん困るのは黙り込んでしまうことかな?
そんなとき、その外国語を母語あるいは母語に近く使える人は、
いろいろ考え始めます。
「何か言いにくいことを聞いたかな?」
「理解を超えることを言ったかな?」
「話したくないのかもしれない・・・」
「嫌われたかな?」
「日本の礼儀を欠いたかな?」
「さて、どうしたらいいものか・・・?」
一言で言えば、不安でいっぱいになってしまいます。
そこで、なかなかことばにならないだけで、話す気はありますよ、
ちょっと待っててください、という気持ちが伝わるように、
なにか信号を出し続ける!
非常にささやかなものですが、それがたがいの意思疎通の第一歩
だろうと思います。
(第二歩目はBitesize=1 の Speaking/Writing ですね!)
上の報告を書いてくださったのは講座生のTさんですが、
生徒から支援者になってみて、大事なことを見つけてくれました。
こういう機会は今後増えると思います。
お誘いしますから、ぜひ参加を考えてください!
Tさん、大事な大事な報告をありがとう!