米国からクリスマスの贈り物二つ! 先生がいなくても授業は立ちゆきますか?

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これまで何度もこのブログに登場してもらった米国ノートルダム大学の
はなぶささんからすばらしいクリスマス・プレゼントが届きました。

「このあいだ町の図書館にいったら、本でツリーが出来てました!」

それと、もう一つ、このツリーよりも大きな、大きなプレゼント!!

IMG-6941

NPO多言語多読の事務所が広かったらぜひやりたいですね、これは。
いつの日か!

そして別件のこと・・・ 多読支援をする人はまず読んでください。
びっくりするような「学習者主体」の報告です。
世の中の常識では、授業は先生が仕切るものということになっている。
ところがどうでしょう? はなぶさんさんの多読授業に出た学生たちは
自分から大学側に授業を提案して、どう運営するかまで考えている!

はなぶささんのクラスではプロジェクトがすさまじい。
(はなぶささんが 金沢でやった日本語セミナーのプロジェクト を見てください。)

ノートルダム大学の日本語授業について次の記事では、学生の企画書をそのまま転載します。
多読支援は本当の支援にしたいですね。なんのことかわかりにくいかな?
本当の支援は学生が一人歩きできること--その理想が実現している!

そして別件ですが、来学期のディスカッションと多聴クラスのことで、
proposalを書いた学生2人ときのうミーティングをしました。
今は期末試験週間で学生は超多忙なので、なんとなくクラス内容に
ついてbrainstormできたらいいかなぐらいのつもりで行ったんです。
そしたらなんと、またさらに詳しいdescriptionを書いてきたんです。
何が彼をそこまで駆り立てるのか….ってつまり、自分たちで
やりたいからなんですよね。プロジェクトと同じですね。
しゃべってるうちに、本当にかなりいいことを彼ら言い出して、
録音しときゃよかった!と後になって思いました。
いかに教科書主導の精読のクラスで習っていないか、と言ってましたよ。
でもそこで学生が一言、

多読は解放なのですね、ある意味で。
辞書から解放、文法から解放、点数から解放、自分も含めてあらゆる
評価からの解放--これは多読を実践している人にもわかりにくいかもしれません。
まして「生徒を仕切ること」が教師だと考えている人たちにはまったく理解不可能でしょう。
そういう先生たちに、もう一つ意地悪な(たぶん理解不可能な)質問!

あなたの授業は教室にあなたがいなくても立ちゆきますか?

あなたの授業はあなたがいなくても生徒や学生が勝手に英語を身につけますか?
授業とはいうものの先生は業を授けるのではなくて、
生徒が勝手に動き回るのを見守って、生徒が必要とするなら先生と意見を交わす、
生徒同士で感想を言い合うのを見守る--そういう存在の方が生徒や学生は
豊かなものを身につけるようです。

ちなみに、先生なしで立ちゆく多読授業はそれほどめずらしいものではありません。
先生が授業に行くと始業のベルの前にもう多読を始めている生徒が
いるなんていうのはあちこちで聞きます。気に入ったシリーズの先がないから
自分で買いましたという生徒にも文京学院中高で何人も会っています。
わたしの授業は40人を二つの教室に分けて多読していたので、
いつもどちらかの教室には先生はいなかった。

ああ、どうしてもこの話題は熱くなりすぎます。
でも最後に、「フツーの、先生が仕切る授業」をやっている人たちに
ノートルダム大学の学生からダメ押しの一言・・・

「教科書使うのはさ、先生がテストしなくちゃなんないからだよね〜
でもそれっておれらにとってほんとの学びになってないんだよね〜
(日本語で言ったわけじゃないです、英語で)」

その通り! 学生の方がよっぽどわかってますね。

「自分たちでやりたいって思ったら時間なんて関係なくやるし、
そういうことから学ぶんだよねー」

んんん…なんか私らが信じてやってきたこと(=教科書使って
テストして教える)って、単なる空回りだったみたいですねえー..。

そこですね、今見えている多読支援の極致はそこです、わたしの場合。
たくさんはいませんが、何人か同じ極を見ている人たちがいます。
そこにはなぶささんも加わって、一つの北極星を見つめる--
北極星の様子はこれからも変化するかもしれない。
その最先端をわたしたちは見ていたいと思う。

追記 多読支援三原則
① 教えない
② 押し付けない
③ テストしない (しないのです!)

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