一つ前の記事にあるように、スタンフォード大学の日本語多読授業では
「第三のスペース」と報告がありました。
それで思い出しました・・・
よく学校にお邪魔して多読授業立ち上げを手伝っていたころ
多読支援の第一歩は「場を作ること」
と、先生方に言っていました・・・
なにしろ第一歩です。この一歩がなければ多読そのものが始まらない。
それでわたしは「場を作るためだったら、何をしてもいい」とまで
強調していました。
もちろん体罰とか、テストで強制するとか、
生徒との信頼関係を壊すようなことはしてはやってはいけないわけですが、
生徒が
「先生は自分たちのためにおしゃべりを注意しているんだ、
ほかの人の読書を邪魔しちゃいけないからな。」
と納得するように「無理やり場を作る」ことは多読授業の土台でしょうね。
そのために最初の多読授業で多読を十分説明するひつようがありますね。
*普通の授業とどうちがうか、
*主人公は生徒一人一人、自分が主人公なのだ、ということ、
*どんな変化があり得るか、
*将来どんな風に役立つ可能性があるか
などを説明して、だから一人一人自分の選んだ本を自分のペースで
楽しむんだよ、と伝えます。
ついでに二歩目をどう表現したかというと・・・
多読支援の第二歩は「リーダーを作ること」
と言っていました。本がたくさんあって、読書の場ができてくれば、
数十人の生徒の中に一人や二人は「はまる」人が出てきます。
その人たちに注目して、派手ではなく本の感想を言い合います。
回りの生徒はそれを聞かないふりをして聞いていて、
少しずつ自分でも「読書」をするようになります(はず)。
三歩目は・・・
多読支援の第三歩は「多読用の本を借りて家で読んでくること」
これはもう最終段階ですね。「離陸」と表現することもあります。
なかなか学校の授業という環境では、ここに到達することは
むずかしいと思います。どうしても「授業」という枠が外れずに、
「多読させられている感」を拭いきれないことがほとんどでしょう。
多読がすっかり読書になって、教室が成績とも、評価とも、
試験とも、点数とも関係のない、読書空間になること--
それが「第三のスペース」の意味だと思われます。
なお、ここで言う「読書」は朗読を聞くことはもちろん、
mangaも、DVDも、スポーツ観戦も、炉売り番組も、ゲームも、含みます。
みなさんいつか多読授業を見学して、静謐な「奇跡の時間」を
目撃する機会がありますように・・・!